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ありがとうございました

今年の11月に思いがけずアルクトゥルスさんの呼びかけに呼応してブログを再開しました。

短い間でしたが、貴重なお時間を私の駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

私自身、ブログの再開により、色々と学ばせていただくことがありました。

アセンションに関する各種情報は、巷にあふれかえっていますし、色んなブログで「知識」を得ることは容易になっています。


色んな情報に触れることで、気づきを得ることも沢山あるでしょう。

しかし、知識を増やしただけで満足し、得た知識を十分に活用していないのではないかという懸念はあります。

よく咀嚼せず、消化不良を起こすほどの情報量を取り入れているのではないかと。


人は知識や理論ではなく、感情や心によって動きます。

「突き動かされる」といった方がいいかも知れません。

ですので、私のブログでは、書籍やネットで簡単に手に入るような情報ばかりではなく、

読む人の「心」や「魂」に訴えかけるような内容にしようと心がけてきました。


書店に並ぶ、いわゆる「精神世界」関連の書物を沢山読んでいた時期もありましたが、

結局のところ、それらのほとんどは新聞や雑誌をよむような感覚で「読み流していた」ように思います。

ある時、そのことに気づいて以来、あまり新しい書物は読まなくなりました。



百冊を浅く読むより、一冊を深く読み込む。

日々の歩みは、あくまで愚直に一歩ずつ。

楽な近道より、厳しい回り道。


・・・という訳で、私が基本とするのは「日月神示」と「火水伝文」です。


地道ではあるけれど、カメのような着実な歩みを心がけています。
(心がけている「つもり」かも知れませんが・・・)


この姿勢は来年も変わることはないでしょう。


年の瀬を迎えるにあたり、拙いブログに「応援クリック」や「拍手」をして支えていただいた皆様に、

あらためて感謝をささげます。


ありがとうございました。

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三種のナイフ

世の中には三種のナイフがあって、ひとつは金属でできていて、ふたつめは言葉、みっつめは想念でできている。

人間の世界では、金属でできたナイフで人を刺した時だけ罪になり罰せられるが、神の世界では、金属でできたナイフであろうが、言葉でできたナイフであろうが、想念でできたナイフであろうが、どのナイフで人を刺しても、すべて同罪である。

だから、あなたが人の悪口を言って言葉でできたナイフで人を刺すたび、あるいは人を憎んで想念でできたナイフで人を刺すたび、その度ごとに罪を重ねて来たのである。




まさに、その通り。返す言葉がみつからない。

実は、この文章、以前、どこかのホームページで見つけ、気になっていたのを、今回、ふと思い出して検索して見つけ出した。

「想念の刃」で斬り付ける。
「言葉の刃」で斬り付ける。
「金属の刃」で斬り付ける。

いずれも相手を切り刻むものである。


「想念の刃」を心の中にとどめておくならば、後になって、自分の心の中で「思い直す」ことも可能である。

「ああ、あの時は、あんな風に思ったけど、言葉にしなくて良かった」と。


それを言葉にしてしまうと、もう取り返しがつかない。

「言葉の刃」での斬撃は、後々まで相手の心に深い傷を残す。

さらに、「金属の刃」を手に持って相手の肉体を切り付けると、犯罪者となる。 

そして、それらの全てが、後で自分の身にブーメランのように返ってくる。

今さらながら、よくよく気をつけておきたい。


<以下、全文>

★ 前 科

” 私は悪くありません ”
” 私は何も悪いことなんかしていません ”

などと、シャアシャアとおっしゃる方がおられるが、

” 悪いことをしたことがない人間なんて、この世にいるわけがなく、いい歳をして何故そんなことぐらいわからないのですか ” と、言ってみたところで、わからない人はわからないから、霊的無知とは、いかようにも人を貶めるものであることを痛感する。

世の中には三種のナイフがあって、ひとつは金属でできていて、ふたつめは言葉、みっつめは想念でできている。

人間の世界では、金属でできたナイフで人を刺した時だけ罪になり罰せられるが、神の世界では、金属でできたナイフであろうが、言葉でできたナイフであろうが、想念でできたナイフであろうが、どのナイフで人を刺しても、すべて同罪である。

だから、あなたが人の悪口を言って言葉でできたナイフで人を刺すたび、あるいは人を憎んで想念でできたナイフで人を刺すたび、その度ごとに罪を重ねて来たのである。

塀の向こう側の方々の仲間内では、前科が多いほど箔がつきツブシがきくそうだが、あの世ではツブシがきくどころか、閻魔様にひねりツブされてしまいます。

品行方正にして紳士・淑女を自負しておられる皆さん、皆さんの方が塀の向こう側の方々より、前科が多かったなんてこと・・・まさか・・・ないでしょうね。



この文章の出典は、こちら →  ★前科 

かなりボリュームのあるホームページですが、引用したページ以外は詳しい内容を確認していません。
ですので、内容の信憑性は、ご自身で判断してください。

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悪魔との取引は、即刻中止せい!

バカ野郎! しっかりしねぇか!!

いつまで操られてんだよ!!

お前の「心の王国」は、お前が王様(女王様)なんだよ。

アカの他人や霊に、いつまで支配されてんだ!

お前をコントロールしようとする奴には、毅然として「NO」を突きつけろ。

主導権を自分以外の者に渡すんじゃねえ!

お前がしっかりしねぇで、どうする!

お前に語りかける相手が、神か悪魔か、光の側か闇の側か、よくよくサニワせんかい!

この期に及んで、悪魔と取引なんかしてんじゃねえぞ。


悪魔との取引は、即刻中止せい!


冷水でもかぶって、頭を冷やしやがれ。

お前、いまのままで、ホントに大丈夫かよ。

お前のハラに居座る「蛇」に、いいようにされてんじゃねえぞ。


ヒノモトの民として、まことの龍の子として、今が踏ん張りどころだ。

蛇なんかに負けるんじゃねえぞ。


お前が本気で「NO」と言えば、相手がどう出るか、確かめてみろ。

「NO」を突きつけて、それでもコントロールしようとしてくるんなら、そいつは守護霊でもなんでもねえんだよ。

いま一度、お前に語りかける相手の正体を確かめろ!



お前の本質は「龍」ぞ。スメラぞ。日月地の神なる身魂ぞ。

元つ神の直の御チ筋を引いておるのぞ。

そのことを思い出せ!!

何でもかんでも楽なミチには気を付けなされよ。
心が獣に成りて来るぞよ。苦を避けむ甘き心が危ういぞ。
「火水伝文」p120

汝等ヒノモトの民申すものは、地球世界を真釣り背負わねば鳴らぬ、
スメラの御ミタマにござるのぞ。汝等の申す、人知に汚れた、
への突っ張りにもならぬ話をして居るので無いぞ。
数ある民魂の真中の御役、[[最も辛きご苦労の、地の日月の
神と統べ真釣る尊き御役の響きにておわすのぞ]]。
辛きご苦労のお身魂であるが由、
枝葉とタテワケ、一段も二段も上の響きのご苦労に堪えれる様、
【元つキ】の直の御チ筋を引かせあるのぞ
「火水伝文」p265


(この記事は特定の方に対するものです。当てはまらない方は読み流してください)

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トイレの神様


「トイレの神様」という歌が今年の紅白歌合戦で披露されます。

トイレの神様といえば、金勝要神(きんかつかねのかみ)です。

いま、この時節に、この歌が世界同時中継される番組で歌われるというのは、実に意味深いものがあります。

「金勝要神(きんかつかねのかみ)」については、以下に詳しい説明があります。
(赤文字は私が色をつけました)


「霊界物語」第1巻 第8章 女神の出現
不思議に堪へずして、自分は金色燦爛たる珍玉の明光を拝して、何となく力強く感じられ、眺めてゐた。次第々々に玉は大きくなるとともに、水晶のごとくに澄みきり、たちまち美はしき女神の御姿と変化した。全身金色にして仏祖のいはゆる、紫摩黄金の肌で、その上に玲瓏透明にましまし、白の衣裳と、下は緋の袴を穿ちたまふ、愛情あふるるばかりの女神であつた。

女神は、自分の手をとり笑を含んで、『われは大便所の神なり。汝に之を捧げむ』と言下に御懐中より、八寸ばかりの比礼を自分の左手に握らせたまひ、再会を約して、また元のごとく金色の玉となりて中空に舞ひ上り、電光石火のごとく、九重の雲深く天上に帰らせたまうた。
その当時は、いかなる神様なるや、また自分にたいして何ゆゑに、かくのごとき珍宝を、かかる寂寥の境域に降りて、授けたまひしやが疑問であつた。しかし参綾後はじめて氷解ができた。

教祖の御話に、『金勝要神は、全身黄金色であつて、大便所に永年のあひだ落され、苦労艱難の修行を積んだ大地の金神様である。その修行が積んで、今度は世に出て、結構な御用を遊ばすやうになりたのであるから、人間は大便所の掃除から、歓んで致すやうな精神にならぬと、誠の神の御用はできぬ。それに今の人民さんは、高い処へ上つて、高い役をしたがるが、神の御用をいたすものは、汚穢所を、美しくするのを楽んで致すものでないと、三千世界の大洗濯、大掃除の御用は、到底勤め上りませぬ
との御言葉を承はり、かつ神諭の何処にも記されたるを拝して、奇異の感に打たれ、神界の深遠微妙なる御経綸に驚いた。

第1巻第24章
つぎに地底のもっとも暗黒い、もっとも汚れたところの地点に押込まれておられた大地の金神、金勝要神が、国常立尊の出現とともに、天運循環して一切の苦を脱し、世界救済のため陸の竜宮館に顕現された。
この神人は稚姫君命の第五女の神である。この金勝要神が地球中心界の全権を掌握して修理固成の大業を遂げ、国常立尊へ之を捧呈し、国常立大神は地の幽界を総攬さるる御経綸である。

第6巻第25章
天は男系、地は女系と云ふは、霊界のこの消息を洩らせしものなり。神諭に、『大地の金神、金勝要神』とあるは、これの表示なり。また、『この大神は、雪隠(せついん)の中に落とされた神』とあるは、総ての地上の罪悪を持ち佐須良比失(さすらひうしな)ふ所の鳴戸の意味なり。
 天教山は口に当たり、鳴戸は地球の肛門に当たるが故なり。神の出口、入口といふは、この富士と鳴戸の御経綸(ごけいりん)の意なり。
大地の金神を金勝要神(きんかつかねのかみ)と称するは、大地の金気(きんき)の大徳(だいとく)によりて固成され、この神の身魂に依りて凝縮|保維(ほゐ)されてゐるが故なり。


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トイレにある二つの鏡


トイレには二つの鏡があります。

 一つは、自分の姿を映す鏡

 一つは、自分の心を映す鏡

姿を映す鏡は、手洗い所に設置されており、誰もが自分の顔を見ることが出来ます。

それでは、心を映す鏡とは何でしょうか。



それは、大便器です。



私の場合、ふと入ったトイレの大便器をチェックして、汚れていたら掃除をするようにしています。

掃除といっても、トイレットペーパーを重ねて水をつけて「こびりついたもの」を落とすだけです。

水をつけたトイレットペーパーで落ちにくい時は、「親指の爪」を使います。

親指の爪の、手の甲側を使ってこすると、たいがいのものは落ちます。

コンビニのトイレは割とキレイですが、公衆便所は特に汚れが溜まりやすいようです。

時には、便器の外に「大物」が鎮座ましましていたりします(笑)。

トイレの大便器をチェックするのは、時間に余裕のある時しかやりません。

風水的には、トイレ掃除は金運を呼ぶらしいのですが、そういう損得勘定はせず、

ただ黙々と便器を磨きます。余計なことは考えず、ただただ、磨きます。


なぜ便器を磨くのかというと・・・


トイレの便器の汚れを、「自分の心の汚れ具合のバロメーター」として見ているからです。

「汚い(きたない)」は「穢い(きたない)」に通じます。


「うわっ、きたねえ。誰だ、こんなに汚した奴は!」と反応するのではなく、

「ああ、汚れているのか。これは自分の心の汚れを鏡として映して見せてくださっているのだ。ありがとうございます」と思えば、腹も立ちません。

大便器を「心の鏡」として、掃除させていただくわけです。


体の汚れは、風呂で落とします。


では、心の汚れは?・・・何もしないで、心の汚れが落ちますか?


毎日のように、色んな思いが浮かび、色んな言葉を吐き、色んな行動をとります。

思い、言葉、行動・・・それらの、どれ一つとっても「一点の曇りもなく、ピカピカだ」と言えるかどうか。

言えないとしたら、毎日、少しずつ、「穢(きたな)きもの」を撒き散らしていることになります。


体の排泄物は、便器の中へ。

では、心の排泄物は?・・・人類の集合意識に撒き散らされ、それはいつか自分に返ってきます。


吐いた言葉は、取り消せません。


「穢(きたな)きもの」を撒き散らしたら、それらは回収できません。

だから、それを打ち消すような「美しきもの」を撒き散らすしかありません。


「外は鏡」といいます。だから「大便器を心の鏡」とするわけです。



ふと入ったトイレで便器が汚れていたら・・・しかも、時間的に余裕があったら・・・


あなたなら、どうしますか?


この記事を読んだからには、もう、腕まくりをするしかないでしょ(笑)


というか・・・ハッキリ言わせてもらえば、

「便所掃除も出来ん奴が、神の御用など務まるか!!」

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龍の背に乗るには

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龍の背に乗るには

知識はいらない

力もいらない

技術もいらない

実績もいらない

肩書きもいらない

名声もいらない


ほとんど、何もいらない


でも、ただ一つだけ必要なものがある



それは




「真心」


「真コト」ともいう


「真心」は「神心」に通じる



余計なものをハラに溜め込んでいては
龍の背中には乗れない

余計なものを握っていては
龍の背中には乗れない

片手ではダメなのだ

両手でなければ龍の背中には乗れない

ハラに「真コト」がすわったとき
神様との「へその緒」がしっかりとつながり
それが絶対安全な命綱となる

この命綱以外は、必要ない

龍の背中に乗れる者
龍の背中に乗れぬ者

その違いは、ただ一厘
ハラに「真コト」があるか無いか

龍は地の底にいる
日本列島は龍の体

眠れる龍がひとたび起てば

風を呼び
雨を呼び
雷を呼び
嵐を巻き起こす

眠れる龍がひとたび起てば

暴れ狂うエネルギーは凄まじく
あらゆるものを破壊し尽す

そして一気に天まで昇る


龍の背中に乗れる者

それは

赤ん坊 と 神心の持ち主


その他の者は

どんなにしがみつこうとも
すべて振り落とされる




一人、己に問う

汝 まことに 龍の子か

汝 龍の背中に 乗れるか


「銀の龍の背に乗って」(中島みゆき/YouTube動画)

(写真は「幣立神宮」近くの平和道場にあった龍の絵/ジンガ撮影)

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火土水(ヒトミ)のハタラキ


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火土水のお土が曇れば、結びたる火水も曇るぞ。

日月地の月が曇れば、結びたる日地も曇るび。

神幽顕の幽が曇れば、結びたる神顕も曇るぞ。

霊力体のお力が曇れば、結びたる霊体も曇るぞ。

口心行の心が曇れば、結びたる口行も曇るのぞ。

解かりたでござろうが。

心、曇りて居れば組み結びた花々は、ケガレ負いたる仇花となりてしもうのぞ。

可哀想でござろうが。早う、心、清め清まりて下されよ。

「火水伝文」本文p59



上の文章を一覧で示すと、以下のようになります。


 火  口  日  神  霊  一

 土  心  月  幽  力  二

 水  行  地  顕  体  三


■火(口、日、神、霊、一)のハタラキ
下から支える裏のハタラキ、(▽、陰の構え)、万象万物【正化】のハタラキ、至誠大愛、父の御役

■土(心、月、幽、力、二)のハタラキ
結ぶ土の御ハタラキ、( ・ 、真中の構え)、万象万物【産む】ハタラキ

■水(行、地、顕、体、三)のハタラキ
上から現す表のハタラキ、(△、陽の構え)、万象万物【成化】のハタラキ、至慈至順、母の御役


「心」は、万象万物【産む】ハタラキ をします。

つまり、すべてを産み出す力を持っています。

その絶大な力を持つ「心」が曇っていれば、産み出されたものはケガレを負った仇花となります。

末は散りゆく運命です。



まず、第一に大事なのは「心」を澄み切らせることです。

「心」を澄み切らせるのは「感謝」です。

「心」が澄み切っていれば、そこから産み出されるものは「真コトの花」

万古末代、散ることのない真コトの花一輪(一厘)を咲かせましょう。

(2008.3/7掲載分 再掲)

(追記)

「火水伝文」では、「感謝」よりも先に「お詫び」をせよと説いています。

まず、「お詫び」をし、その次に「感謝」です。

「ごめんなさい」、そして「ありがとう」


ちなみに「ホ・オポノポノ」では、
「ありがとう ごめんなさい 許してください 愛しています」の四つの言葉を唱えよと説いています。

「お詫び」と「感謝」の言葉が入っています。

私はこの順番を入れ替えて、「ごめんなさい ありがとう」にしています。

毎日、車の運転中や、歩く時、トイレの中、眠りにつく時など、暇さえあれば、

心の中で、心の底の「真ん中」に向かって、何度も何度も、「ごめんなさい ありがとう」を唱えています。

「真冬でも汗ばむほどの真剣さで言わなければ意味がない」とは考えません。

たとえそれが「大河の一滴」でも、あれこれと雑念を浮かべているより、
はるかに時間を有効に使えるのではないかと思うからです。

このやり方が絶対とは思いませんが、「お詫び」と「感謝」の言霊を発することで、
自分の心が少しだけ謙虚になれるような気がします。これは私だけかも知れませんが。



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親と子、それぞれのメッセージの違い

「時が来る、用意せよ」というメッセージは、過去、幾度も伝えられてきた。

そして「時が来た。目覚めよ」とのメッセージも既に伝わっている。

意識の焦点を変えれば、身の回りの至る所にメッセージが散りばめられている。

まさに「目に映るすべてのものはメッセージ」である。

ところが、そうしたメッセージには、大きく二つの方向性がある。

一つは・・・

「朝が来た。でも、まだ布団の中でまどろんでいなさい。ほーら、気持ちいいだろう?」というもの。
つまり、「そのまんま、目覚めることなく、寝ておれ」というものであり、
その真意は、「目覚めてなんか欲しくない」ということである。


もう一つは・・・
「朝が来た(過去形)。さあ目覚めよ。布団から起き出て顔を洗い、寒風の中に出ていき、仕事をしろ」というものである。
さらに、この前段階として「朝が来る(未来形)。もうすぐ夜明けである。子供達が起き出す前に、まず親から目覚めよ」というメッセージがある。

これはつまり、「世界の親」である日本人に対するものと言える。


この二つの方向性のメッセージが存在するということは、何を意味するのか。

単純に言えば、「子供向けのメッセージ」と「親に対するメッセージ」の違いである。


イメージしてみて欲しい。

真冬の、夜明け前の最も暗い時刻、子供達がまだ布団の中でぐっすりと寝静まっている時から、親は起きて寒風ふきすさぶ屋外に出て活動を開始している。
やがて夜が明け、朝が来ると、子供達に朝の到来を告げ、目覚めさせる。


「世界における日本」の位置づけを、「同格」とみなしてしまうと、この違いを説明できない。
日本を「世界の親」として位置づけると、この違いがよく分かる。

親の役割と子供の役割は、その活動開始の「時期」や、ハタラキの「内容」からして違うのだ。
子供と同じような時間に起き、子供と同じ程度のハタラキをしていては、とても親とは言えない。


いま、既に「アセンション」に関する情報や書籍が、ごく普通に出回っている。
子供達も既に目覚め始めている。そして口々に告げる。

「お父さん、起きて。朝だよ。もう日が昇ったよ」

これを言い換えると、「ヒノモトの民よ、目覚めよ。もう丑寅の金神が復活しておるぞ」ということになる。

しかし、残念ながら、現代の日本においては、「寝ぼけまなこのお父さんお母さん」が圧倒的に多い。

老若男女は関係ないが、未成年よりも、働き盛りの成人の方が眠りこけているように思う。

なかには、一度目覚めてもまた眠り込む「二度寝」も見受けられる。

挙句の果てに「布団から出られない。出たくない。このまんまがいい。寒いのは嫌だ。苦労も嫌だ。楽ちんなのがいい」と言い出す始末。

これが、長い年月をかけて「腑抜け」にされてきたヒノモトの民の、なれの果てである。



二つのメッセージの違いが、ご理解いただけただろうか。

「まだ、のんびりしていてもいい。そのまんまでいい」というのは、
「目覚めても、布団から出なくていい。顔も洗わなくていい」というものである。

これが本当に、ヒノモトの民に対するメッセージと言えるかどうか、よくよく考えていただきたい。

「日月神示」や「火水伝文」では、この親と子の違いについて、きちんと説明している。
それを否定する情報は、もはや悪意を持ったニセ情報としか言いようが無い。


日本が世界のヒナ型申すは、汝等も世界のヒナ型申すを
言うのであるぞ。
真釣り役の胴体がふ抜けて居りては、
ご自身のお体が真釣れぬ同様、世界が真釣れぬも無理無かろうが。
この方がヒノモトの人民様に厳しく申すは、この事在りて有るが由ぞ。
汝等ヒノモトの民申すものは、地球世界を真釣り背負わねば鳴らぬ、
スメラの御ミタマにござるのぞ。汝等の申す、人知に汚れた、
への突っ張りにもならぬ話をして居るので無いぞ。
数ある民魂の真中の御役、[[最も辛きご苦労の、地の日月の
神と統べ真釣る導き御役の響きにておわすのぞ]]。
辛きご苦労のお身魂であるが由、
枝葉とタテワケ、一段も二段も上の響きのご苦労に堪えれる様、
【元つキ】の直の御チ筋を引かせあるのぞ。
中身のご苦労もなさらいで、カタチばかりで取り違え、
日本は偉い偉いなぞ申し参りても、ハラにマコトの一厘も
無きが者の成さり様は、犬、猫にも恥ずかしい限りであるぞよ。

「火水伝文」p265




「日本と世界」が「親と子」、この区別タテワケが理解できないと、「子供と同じ程度のハタラキ」でいいと思ってしまう。

それでは、あまりにも情けない。

「あれぞ、ひつくの民」「さすがはヒノモトの民」と、世界から仰がれるほどのハタラキをしなければ、申し訳ない。

目が覚めたら、まず布団から出ること。そして顔を洗うこと。
水が冷たかろうが、とにかく意識をシャキッとさせるために顔を洗う。
ごくごく当たり前のことである。

顔を洗うのに「冷たいのは嫌だ。ぬるま湯がいい」などと、ふざけたことを抜かしている場合ではない。


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「火水伝文」の冒頭部分

「火水伝文」の冒頭部分だけ、ご紹介します。

言葉の端々から「真剣さ」が伝わってくるでしょうか。

「子を思う親の心」が伝わってくるでしょうか。

「崖っぷち」に向かって歩いている我が子を引き止めたいけれど、

直接に手出しができないもどかしさの中で、泣き叫ぶほどに呼びかける言の葉の数々・・・


ここで紹介したのは、ほんの「序の口」です。

私は以前、このフミを朗読していて涙が出てきました。

あまりにも申し訳なくて・・・切なくなりました。

そして冬の真っ只中にもかかわらず、風呂場で水を10杯、頭からかぶりました。

急にそんなことをしてどうなる訳でもないのですが、そうせずにはいられないほど、

「申し訳ない!ごめんなさい!」という気持ちが心の底から湧き上がってきました。



この「火水伝文」を否定する情報(チャネリングメッセージ)があることは知っています。
そのメッセージは、「お筆先」や「日月神示」も否定しています。
私に言わせれば「後だしジャンケン」です。

また、「火水伝文」を、「終末予言として推奨するものではありません」という意見もあります。


結局のところ、「火水伝文」のような情報は、「信じる、信じない」という話になります。

いまさら「否定論者」と不毛な論戦を展開するつもりは、さらさらございません。


でも、私の感覚(嗅覚?)では、「信じるに足る」ものだと確信しています。

どう受け止めるかは、読んだ方の感性というか、直感にゆだねるしかありません。


<以下、「火水伝文」冒頭部分>

時いよいよ現れ来たりたぞ。これより先、新しき世に至るまで暫しの年月、辛抱肝心ぞ。
人民様、程度の差こそあれ業火の死、遂げる者。生き残り塗炭の苦しみ、受くる者。
二つに一つになりたぞよ。人ごとでないぞ、汝も同じぞ。悪人、善人らちもない。
死に行かれる者も、残し置かれる者も聞くのざぞ。 

この度は地球最後の転生の時、天意転換の時ぞ。それ由の厳しさぞ。
全人類、己が囚われ積みしケガレ、一点の曇り無きまで払い清めせなならんから、数多の民、死ぬる者も残りし者も相等しく、阿鼻叫喚の地獄の如き洗礼をその身に受けねばならんのぞ。
女、子供辛きこと哀れであるが、一人とてこれ避けること出来んから、早よう魂磨きてくれよと申したであろうが。

遅し。神、既に動きたぞ。浮かれ暮らす人民様、この度のこと取り違えおれば末期の不覚となりぬるぞ。
しっかと世情見ていて下されよ。現界の荒らぶる現象いよいよ混乱狂気となりておろうが。
これ予兆ぞ。既に世界はウラにて一つになりたぞよ。
真中を過ぎし不測の時、世界の悪勢一挙に入り来たり全土を一つと七つに分け占めて修羅の地獄と化さしめん。
これ、こたび始めの神仕組みなり。これ日本の事ぞ、マコトぞ。
仕組みありて、真先に日本払い清めせなならんからぞ。
国、土台から破壊され、ケガレし権力潰れしも外なるケガレ逆巻きて内なるケガレ払うのぞ。
私有財産壊滅し、衣食住にも窮迫し、国民同士の戦ある。人(ヒト)と獣(ジュウ)との分かれ目ぞ。
ケガレしものの消ゆるまで、三歳苦難(ミトセクナン)の道行きぞ。
こは神仕組み神ハタラキなれど、汝等人民様の招きしことなるぞ。
汝の欲心甘やかし来たりたであろうが。しただけのことは拒めぬぞ。神恨むでないぞ。

しかあれ、人民様の苦しき死。残り苦しむ様。神、望みてないぞ。
既に遅けれど、このワケ、縁ある者に伝え置く。この度死ぬる者はこのワケ聞いてハラに入れ、生き戻れるように死んで下されよ。死んでも頑張りて下されよ。残されし者も同じぞ。死に急ぎなさるなよ。
よくよく頑張りて下されよ。よいな、三年の間ぞ。
三年の間、汝等の心魂、修羅場と化せしその地にて耐え難きを耐え魂磨くのぞ。
死して逃れんと欲っせしも、異界にて万倍の地獄飲まなならんのぞ。
神、頼むぞ。汝蒔いた種なればこらえにこらえて三真釣り(ミマツリ)持ち行け。


「火水伝文(ヒミツツタエフミ)」(本文p1~3)より


「三真釣り」とは・・・

「口・心・行」の三つが調和していること。「言う事」「思う事」「する事」が一致していること。


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黒くんと白くん(ショートストーリー)


黒くんと白くんがいました。二人は兄弟です。

二人は一日だけ、幼稚園に体験入園しました。

お父さんは「夕方になったら迎えに来るから、それまでは何をして遊んでいてもいいよ」と言いました。

黒くんは元気いっぱいに遊び回るワンパク坊やです。
水溜りにもジャブジャブ入るから泥んこになりました。
遊び場の隅から住みまで駆け回って遊びました。
時々、友達に意地悪したり、イタズラをして先生に叱られたりしました。
そして、あまりお行儀がよくありません。
先生の言うことも、素直に聞きません。
黒くんの顔や手や足は、真っ黒になってしまいました。
何度も転んだので、ところどころ、すり傷もあります。
服も汚れています。


白くんは、大人しく、お行儀の良い優等生です。
先生の言うことも、素直に聞きます。
白くんは、顔や手や、服が汚れないように気を付けて遊びました。
水溜りも避けて通りました。
だから白くんの顔や手や足は、黒くんほど汚れていません。


白くんは、元気な黒くんに服を汚されないよう、距離を置いて、壁に背中をつけて、黒くんが遊ぶのを見ていました。
そして「あ~あ、黒くんは、あんなに汚しちゃっていいのかな?きっとお父さんに叱られるぞ。でもボクは黒くんみたいに汚れてないもんね。早くお父さんが迎えに来ないかな。そしたらボクは真っ先にお家に帰れるのに。でも黒くんは、そのままじゃお家に帰れないだろうなあ」と思っていました。



夕方になって、二人のお父さんが迎えに来ました。

お父さんは「二人とも、顔や手を洗って、服を着替えなさい。そのままでは家に帰れないぞ。あと30分で出発するぞ」と言いました。

黒くんは、顔や手を洗うのが面倒臭かったのですが、自分が汚れているのを分かっていたので、仕方なくお父さんの言うことを聞いて、顔や手を洗い、服を着替えました。

あんまり汚れがひどいのでシャワーも浴びたところ、元のピカピカなキレイな体になり、新しい服を着ました。

ところが白くんは、「ボクは汚れてないから、どこも洗わなくていいもん」と言いました。

お父さんは、何度も「お前も汚れているから、早く洗いなさい」と言うのですが、白くんは自分が汚れているなんて思っていないので、お父さんの言うことを聞きません。



お父さんは、白くんを「合わせ鏡」の前に立たせました。

「お前は、前から見える所は汚れていないかもしれんが、背中を見てみろ、真っ黒だぞ」と言いました。


鏡を見てみると、確かに、白くんは汚れていました。


壁に背中をつけていたので、知らず知らず、背中が汚れていたのです。そして、足を上げると、足の裏も真っ黒でした。

白くんは、目に見えない所が汚れていたのです。

それでも白くんは「これはボクじゃない。ボクはこんなに汚くないもん」と言い張りました。





お父さんは仕方なく、白くんを水溜りの所に連れて行き、白くんの背中を押しました。

白くんは突然背中を押されて、水溜りに顔から突っ込んでしまいました。

体じゅう泥だらけになった白くんは、お父さんに「お父さん、ひどいじゃないか。せっかくキレイにしてたのに」と言いました。

お父さんは「鏡を見せて気付かせているのに、お前がいつまで経っても自分の汚れを認めないから、敢えて泥だらけにしたのだ。さあ、もう時間がない。早く洗って来なさい」と言いました。


お家に帰る時間が迫っていたのです。

お父さんは、白くんや黒くんの性格を分かっていたので、帰りの最終便に乗り遅れないよう、あらかじめ二人が体を洗う時間も計算して、予定の時間よりも少し早く迎えに来たのでした。

白くんは、もともと真面目でキレイ好きなので、一所懸命に洗いました。シャワーも浴びました。

すると、白くんは元のピカピカなキレイな体になり、新しい服に着替えました。

そして二人とも、無事に帰りの最終便に乗ってお家に帰りました。

(創作:ジンガ)


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「火水伝文」とは

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※「火水伝文(ヒミツツタエフミ)」とは

1991年、東京に住む、あるデザイナーに、ある日突然「火」の文字が視界に現れて消えないという現象が起こりました。最初は無視しようとしたものの、どうしても無視できず、仕方なく紙に「火」の文字を書き写したところ、次から次に文字が現れたそうです。そうして一文字一文字筆写して作られたのが「火水伝文」です。
そして、事の重大さに気付いたデザイナーは、名前を「我空徳生」と改め、火水伝文の普及を始めることになりました。このメッセージを降ろしたのは国祖・国常立尊であるとの事です。

このフミは、ワケあって一般の書店では入手できません。

このフミには、どうしようもないほどに「我が子」を思う「父の愛」が感じられます。
今まさに生死の瀬戸際にいる「我が子」に、喉から声を振り絞るような切実さで語りかけてきます。

いわゆる「精神世界」にあまた存在するメッセージとは、その「質」が全く違います。

読めば分かるように、「日月神示」と文体が似ています。
また、このフミの降ろされ方は、大本教の出口直の「お筆先」のパターンと似ています。
文盲であった出口直は、その意味も判らないまま、次々と出てくる字を写し取ったとされています。

ただし、一般的には最高神が直接、人間に「かかる」ことは有り得ないとされていますが、間に「取次ぎの神」が存在すれば、最高神からのメッセージを「伝える」ことは可能です。

そして、最高神との間に「取次ぎの神」がいるからこそ、神からの「伝文(ツタエフミ)」という表現になっているとも言えます。

私は、厳しくも温かい、溢れるような「親の愛」に満ち満ちた、このメッセージこそ、今の日本人に真に必要なものであると確信しています。

スラスラと読み流すのではなく、しっかりと魂に刻み込むような真剣さで、真の親神と一対一で対峙するような気持ちで、一つ一つの言の葉を受け止めていただければと思います。

このフミを読んで涙を流した方もいます。それは、「親の真心」を感じ取ったからです。

どう感じるか、どのように受け止めるかは、人それぞれでしょう。

私は、どうしても、今、このブログを読んでいる、「縁」ある方々に知らせたく思い、紹介させていただきました。


実は以前「ジンガの部屋」というHPで「火水伝文」を紹介していましたが、今年の10月末でinfowebのHPサービスが終了してしまい、私のHPも消えてなくなりました。

現在のところ、在庫も無いようです。

「増刷」の情報が入り次第、お知らせしたいと思います。

こちらのサイトに、詳しい説明と本文の一部抜粋が紹介されています。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/himitsu-humi.html


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大丈夫!根っこはつながってるから


一人ぼっちで歩き出す

仲間はいない

どうしよう

不安になる

でも大丈夫

なーんも心配ない

根っこはつながってるから

一人きりだけど、一人ぼっちじゃないから

単独だけど、孤独じゃないから

だから

胸張って堂々と

道の真ん中を歩いていけ



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アンケート・・・「火水伝文(ヒミツツタエフミ)」をご存知ですか?

突然ですが、アンケートです。

このブログで、ちょくちょく登場する書物なんですが・・・どれだけの方がご存知なのかなーと思いまして。

ご協力頂ければ幸いです。m(_ _)m

あなたへの質問・・・「『火水伝文(ヒミツツタエフミ)』をご存知ですか?」


投票は下記へ(全ての選択肢を読んでから投票してください)

PCから「投票」と「コメント」記入が出来、「投票結果」と「コメント」が見られます。
ただし携帯からは投票が出来ないようです。ご了承ください。






大地にしっかり根をはろう

生まれてきたということは

種が芽吹いたということ

それぞれの場所で

それぞれの花を咲かせ

それぞれの実を結ぶ

いつまでもフワフワと

タンポポの綿毛ではいられない

まず、根付くことができるかどうか

それは自分次第だ

大きな木には

大きな根っこ

高く枝葉を繁らせるには

大地に深く根を伸ばす

深く広く沢山の根を伸ばす

そしたら太い幹ができ

枝葉も沢山繁るだろう

根っこの働きを忘れるな

根っこの心を忘れるな

大地にしっかり根を張れば

風が吹いても倒れない

枝葉を沢山繁らすよりも

大地にしっかり根を張ろう




いまの時節、知識や情報は腐るほどある。毎日のように最新情報が流れてくる。

でも、それは枝葉に過ぎない。

いくら沢山のブログや書籍を読んでも、毎日のようにランキング上位のブログに目を通しても、

「ああ、そうか、なるほど。いいこと聞いた」で終わっていては、ほとんど意味がない。




パソコンの前から離れたあと、どうしているか。

書籍を閉じたあと、どうしているか。




実は、「どれだけ沢山の情報を仕入れるか」よりも、そのことの方が大事である。

「屁のつっぱり」にもならない知識だけ詰め込んでも、それを活かさなければ宝の持ち腐れである。

当然ながら、沢山の情報の中には、「真」と「偽」が入り混じっている。

時には「毒」も。


情報の取捨選択は自己責任でやるしかない。

「ニセモノ」をつかまされたり、「毒」を飲まされるのも、自分の責任。

誰のせいでもない。



大地にしっかり根をはるということは、地に足をつけるということ。

地球の意識につながるということ。

何気ない日々の営みにこそ、その人の真実が現れる。


あなたは、日々、何を考え、どんな言葉(言霊)を発し、どのように行動していますか?


あなたが日々発する思い(想念)、言霊、行動は、

「光の勢力」にエネルギーを供給するようなものだろうか。

それとも・・・



ジンガ注)

既にお気づきの方もいらっしゃると思いますが、私のブログは「夜10時」に「予約投稿」を設定しております。

時には、書いてすぐアップしたりもしますが、基本的には「夜10時」です。

じゃ、そーゆーことなんで、ヨロシク(^^)b


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「常在戦場」の心とは

「光と闇の最終戦争」の真っ最中ということで、「常在戦場」の言葉を紹介した。

しかし、従来のような戦い方ではないことは、既にご理解いただいていると思う。

つまり、目を血走らせ、鞘もつけずに血刀を振り回し、

当たるを幸いに斬って斬って斬りまくるような類のものではない。


このブログは、時に、読む人を「煽る」ような表現をすることがある。

しかし、それは決意を促し、使命を思い出させるためのものであって、

「イサカウ心」や「闘争心」をむき出しにせよという意味ではない。



むしろ、それとは「真逆」である。

なみなみならぬ決意、猛烈な使命感、湧き上がる熱い思いは、一旦、ハラに収める。

こみ上げるエネルギーは、胸に留めず、ハラ(丹田)に収める。

ハラの底に鎮めるというべきか。



心を鎮め、あくまでも冷静に、しかし、油断はしない。

刀は鞘に収め、決して抜かず、ましてや人に斬りつけたりはしない「自制心」。

刀を振りかざして攻撃してくる相手に対して、一歩も退かない「決意」。

挑発や誘惑、甘い言葉には耳を貸さず、心を乱さない「不動心」。




殴られても殴り返さず、打たれても打ち返さない。

「やりやがったな、この野郎!」で喧嘩を買うのは、下の下。弱い証拠である。


「やり返せない」のではなく、「やり返さない」。

「やり返したい気持ち」が出てきても、それをグッと抑えて「やり返さない」。



心を折られ、乱されれば、相手の勝ち。

心を折られず、乱されなければ、こちらの勝ち。


どこまで「心のチカラ」が強いのか・・・それが試される。


先は長い。必ずどこかで油断や隙が生じてくるだろうが、その都度、自分で心を引き締める。

上に上にと上がってくるチカラを、ハラにグッと収める。

心を引き締めるといっても、ガチガチに硬くなるのではない。

チカラはハラに収め、その他はリラックスしている状態。

いわゆる、「ハラが座った状態」である。



それが「常在戦場の心」。



「まだまだ自分は心が弱いから・・・」と嘆いてばかりいても強くはなれない。

「強くなる」と決意することで、何かが変わり始める。

誰かが強くしてくれる訳でもない。自分で自分を強くするしかない。

生まれつきの「勇敢な戦士」はいない。

誰しも、恐怖心や臆病さに打ち勝って「勇敢な戦士」になるのだ。


ここで、よく考えてほしい。


あなたはなぜ、この場にいるのだ。

こたびの最終決戦に志願して来たからには、本当に弱いはずがないではないか。

もっと自分を信じることである。



神は、「絶対に出来ない者」に、やらせるようなことはしない。

神が「できる」と見込んだからこそ、この場にいるのだということを忘れてはならない。


「蛇」の挑発をジッと見つめる「龍」の如くあれ!


(この文章を読んでググッと上がってきたチカラは、ハラに収めてね♪)


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背後の者共に告ぐ!

おい・・・お前、何やってんだ?

自分が何をやってるか、分かってんのか?

誰の許可を得て、そんなことやってんだ?

いつまで、それをやり続けるつもりだ?


お前が陰でコソコソとやってること・・・


元つ大神様に、キッチリと申し開きできるんだろうな。


この期に及んで、ヒトに取り付いて、遊んでんじゃねえよ。

お前だよ、お前!

このブログを読んでいる者の背後に隠れてる、お前だ!!


いい加減にしとけよ・・・なあ。

お前らのボスは、もうとっくに改心しとるんぜ。

悪いこたぁ言わねえ。

もう一回、お前のボスに聞いてみな。

このまま、ヒトに取り付いて、やりたい放題、いいたい放題やってていいのかどうか。



いい訳ねえよなあ。ホントは分かってんだろ?


元つ大神様に仇なすがごとき振る舞い・・・もはや明白である。


いままで通り、逃げおおせると思うなよ。

最後の最後まで、それをやるのか?やり続けるのか?


もう、どうなっても知らねえぞ。


いま、ここに生まれ落ちてるヒトってのはなあ・・・

本来、自分の力でしっかりと地に足つけて、

霊や他人や教祖様なんかに頼らずとも、

どんな茨の道だろうと、おのが使命を果たすために、

どんな苦労もいとわず、最後まで歩いていけるんだよ。

それだけのタマ(魂)を持ってんだよ。

それほどの覚悟を持ち、誓いを立てて、いま、この時、ここに生まれ落ちてんだよ。

決死の覚悟決めて、ハラぁくくって、最終決戦の戦場(いくさば)に、自ら志願して来てんだよ。

自分で気がついてねえだけだ。


それだけの身魂の持ち主を、お前はチャネリングなんぞで、いいように操ってるんだぞ。

操られる方も、まぁ、それはそれで仕方ねえところもあるけど、本来は一人で歩けるんだよ。

チャネリングなんざに頼れば頼るほど、「支配される」ってのが、まだ分かってねえんだよ。

ついつい依存しちまうんだよ。そうなったらもう、自立なんて、とてもとても・・・

もう、「霊の言いなり」さね。

目隠しされたまま、崖っぷちに連れて行かれて・・・それじゃあ、あんまり可哀想じゃねえか。

光輝燦然と、まぶしいほどに強い光を放つ魂が・・・なんとも悲しいことであるよ。


とは言うものの、「目に見えない存在」と語れるってのは、優越感をくすぐるわな。

「誰にでも出来る」ことではないし、他人からは「凄い」とか言われるし。

本人も、なんか有頂天になっちまう。

そして、他人もまた、そいつに釣られてしまうんだよ、悲しいことに。

素直といえば素直なんだが・・・

「目に見えぬ存在」を疑うことを知らず、それが何者かを確かめもせず、

そのメッセージをまるごと鵜呑みにして、自ら考えることすら放棄してしまう始末。



いったい、どこに連れて行こうってんだ?

いま、この時節、ヒトにかかりて、ヒトを操る者共よ。

本当に、それでいいのか?

最後の最後に、閻魔様(国常立大神様)に、どう申し開きをするつもりなんだ?


お前の魂胆なんざ、はじめっから、全部まるごと、お見通しなんだよ!!


「光の戦士たらん」と志願して生まれてきた者達を、どこまで腐らせりゃ気が済むんだ?


いいか、よおっく聞いとけよ。


これより先は、神が水も漏らさぬ仕組みを構え、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、

慙愧慟哭、血の涙を流しながら、待ちに待った「親と子」の、真実の対面が待っているのぞ。


はるか昔、おのが魂を分け、「神なる身魂」として大事に大事に守り育ててきた神の子らが、

ようやく幼稚園から卒業する、大事な大事な時期である。



その総決算、最後の仕上げの、いま、この時。



その邪魔をするというのが、どういうことか、本当に心底、分かってんだろうなあ。



背後の者共に、いま一度、問う。

「お前は何をしておるか!!」

よもや、神の御前に申し開きできぬようなことではなかろうな。

改心すればよし。さもなくば・・・分かりておろうな。

手遅れになる前に、申しておくぞ。よいな。



ジンガ注)

これは「背後の存在」に対するフミです。当てはまらない方は、読み流してください。

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誠の神がかり

今、神がかりが雨後の筍の如く現れている。

チャネリングともいう。

しかし、中には眉ツバものも少なくない。

確かに、高級な霊がかかっている場合もあるが、九分九厘までは、どんな神がかりのメッセージも、だいたい同じように思う。

・・・いわく、『この世的な善人であれ』

「善悪二元論」に立脚してモノを言うのは、中つ神である。

二元論の基準で「いい子」を演じ続けても、意味がない。

時代は、二元から一元へ、分離から統合へと動いている。

既存の宗教でも言うようなことをオウム返しに語ったとて、何の意味があるのだろう。

それこそ、中つ神の仕掛けたトリックである。

ドスンバタンと騒がしかったり、品性の低い霊能者は論外だが、かなり精妙な神がかりであっても、やはりメッセージの内容を見れば、一厘の有無が分かる。

誠の神がかりとは、一見して、神がかっていないように見える。

どう見ても普通の人。

普通の人が普通に動いて、それでいて、ピタリピタリと当たっていく。

それが本当の奇跡。奇跡に見えない奇跡。

大げさな奇跡や超常現象を追いかければ、横道に入ってしまう。

心しておきたい。


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常在神前、常在戦場

「常在神前」(じょうざいしんぜん)、即ち、「常に神前に在り」。

常に我が身が神前にあることを意識するということ。


「神の御前(おんまえ)に」自分が居り、「我が前に神がおわす」。


「神、常に我が前に在り」、「我、常に神の前に在り」


そして「我が内に神が在り」、「我、神の内に在り」


まことに、ヒトは一瞬たりとも、神と離れては存在することができない。

ヒトに限らず、生きとし生けるもの、在りとし在るもの、その全てが、神とは不可分の関係にある。


すべてに神が宿り、すべてが神の体。

神でないものは、どこにも存在しない。


神社の拝殿に面と向かった時の気持ちを、日常生活において保ち続ける。

それが、「常在神前」





「常在戦場」(じょうざいせんじょう)、即ち、「常に戦場に在り」。

常に我が身が戦場に在ることを意識するということ。


いまは「光と闇の最終戦争」の真っ只中。

そのど真ん中に自分が置かれている。


戦場に在る時の気持ちを、日常生活において保ち続ける。

それが、「常在戦場」





「常在神前」、「常在戦場」

この心がけで、日々を生きるということ。

(心がけというより、事実そのものなのだが・・・)



自ら問う。「その心がけ、在りや無しや」



ジンガ注)

「常在神前」は私の造語です。辞書には載っていません。


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あなたは既に最終決戦に参加している

あなたは既に最終決戦に参加している。

なぜならば、いま、この時代、この国に生まれ、この文章を読んでいるのが何よりの証拠である。

「そんなつもりはない」とは言わせない。

あなたは確かに、「そのように決意して」生まれてきたのだから。

今はまだ思い出せないかもしれない。

しかし、人類の、地球の、宇宙の、大転換期に生れ落ちてきたということ自体、

あなたが最終決戦の「志願兵」であることを雄弁に物語っている。



「光と闇の最終決戦」

勝つのはどちらか。

実は、この戦いに「勝ち負け」はない。

今回は「光と闇の融合」がテーマだ。

「闇を排除した文明」は進化の袋小路に迷い込んでいる。



「悪を抱き参らせ」、「光と闇を融合」し、全てを「統合」するのが我々の使命である。



しかし、それは容易なことではない。

容易なことではないが、やらなければならない。


なぜなら、それこそが我々の「使命」だから。


目の前の「闇」や「悪」を、「一時的に排除」して来たのが、人類の歴史でもある。

やっつけても、やっつけても、むしろ、やっつければやっつけるほど「悪」が出てくる仕組み。




実は、「勧善懲悪」のやり方では、いつまで経っても「戦い」は終わらない。


「悪」と見え、「闇」と見えるのも、実は、「自らが蒔いた種」。

そして今は「刈り入れの時」。

何を刈り入れるかは、人それぞれ。


苦しくても辛くても、痛みを伴っても、それは「魂の最終決算」の過程にすぎない。

誰にも文句を言わず、誰のせいにもせず、ただ黙って受け取る。


プラス・マイナス・ゼロ。

プラスが大きい人は、マイナスも大きい。逆もまた然り。

だから、プラスの大きい人を羨んではいけない。


日々、何事もなく平穏に過ぎる毎日こそが、最高の幸福。


しかし、いま、この文章を読んでいるあなたは、子供ではない。親である。


親というのは、子供より早く、子供に先がけて「目覚める」必要がある。



日本 と 世界 = 親 と 子



こたびの「最終決戦」は、逆説的だが「あらそいの心」を捨てた方が勝つ。

押し寄せる敵の大軍に、「草薙の剣」を持って対峙する。


それは、「ガンジーの非暴力主義」に通じるものがあるかも知れない。


「最終決戦」というからには、「戦い」ではあるが、

憎しみや凶暴さを前面に出して相手を潰すようなものではなく、

あくまでも毅然として、凛として、真コトを貫く。


どんなに打ちのめされても挫けない。

どんなに怖くても退かない。

絶望的な局面になろうとも、決して心を折らない。



「やった、やられた」「目には目を」

この戦いの連鎖に終止符を打てるのは、どこまでも真っ直ぐで、強い心。



光と闇の最終決戦は、我々の心の中で起こっている。


「霊戦」である。


一人ひとりが、一歩も退かぬ決意で、前に前に進んでいく。


相手の挑発にのって手を出せば、相手の思うツボ。

「やられたから、やり返す」というのでは、わざわざ「闇の勢力」にエネルギーを供給するようなものである。

決して、相手と同じレベルに落ちてはならない。



こちらは、どこまでも光を輝かせ、波動を上げていく。

心を澄み切らせ、研ぎ澄まし、油断せず、相手に「つけこむスキ」を与えない。

そうなると、もはや相手もお手上げである。



「光で闇を包みこむ」

「光の浴びせ倒し」



さて、これだけのことを実行出来るかどうかと自問してみる。

・・・全く自信がない。我ながら情けないほどである。



しかし、長い転生を繰り返してきたのは、「この時」のため。


自信があろうとなかろうと、やるしかない。

自分の代わりはいないのだ。



「人類のアンカーとして、見事、使命を果たしてみせる」

・・・まずは、そう決意すること。


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メグル響きを真釣る響きで和す

「火水伝文(ヒミツツタエフミ)」p249 より

悪き響きが訪れるは【メグル情け】のお仕組みにござるから、
ご自身以外のせいになされてはならぬ申して居るのじゃ。

そは悪き響きに対しイサカウは、ちいともメグリが真釣ろえぬばかりか、
新たな悪きメグル響きを産むばかりでござるからぞ。

メグル悪き響きには、真釣る響きで和し添わねば鳴らんのじゃ。

汝等が少しでも三真釣り持ち行きて、真釣るマコトのご苦労をして居りて下されば、

死ぬところを大怪我で済ませる事も、
大怪我のところを小怪我で済ませる事も、
小怪我のところをかすり傷ぐらいで済ませる事も、
全く何事も無く済ませる事も、出くる申して居るのじゃ。

保身の身欲を捨てなされて、スミキリあれば見え来るマコトにござるよ。

汝は汝の身魂を磨き出して下されよ。

外した真釣りをタテナオス事が、和する響きを出す事に鳴るのざぞ。

メグリも和するが出くるのじゃ。

真釣り和する響き、汝ご自身が出さらいで、誰が鳴するのぞ。

されば、今今は心鍛えスミキリある様なさりて下されよ。

心スミキリあればある程、真釣る響き出くる様に鳴りて来るのじゃ。

汝ご自身が真釣る【足場】と鳴り成されたら、ご立派でござるぞ。

周りに真釣り和す響きを与うが出くるのじゃ。

皆々に居るだけで喜ばれる者と鳴るぞ。




「悪き響き」とは、いわゆる「苦」や「不都合」などですが、これは元をただせば「身から出た錆」ですので、自分以外のせいにしてはいけないということです。

そして「悪き響き」に対して“諍いの心”を持つことは、さらに「悪き響き」を引き寄せることになるので注意が必要です。

「悪き響き」に、同じように「悪き響き」で対抗していては、悪循環からの脱却は出来ません。

「悪き響き」を憎まず、恨まず、誰のせいにもせず、戦いの心で抵抗するのでもなく、ただただ、「真釣る響き」で対処することが大事です。

「火水伝文」では、自身が「真釣るマコトのご苦労」をしていれば、メグリ(カルマ)によって訪れるはずの大難を小難に、小難を無難にすることも可能であるとしています。

ここで言う「和する」というのは、例えば中和剤を用いて毒薬を無毒にするようなものです。

最終的には、「周りに真釣り和す響きを与える」ことが出来、「皆々に居るだけで喜ばれる者」になるということです。

その為には、何をおいても「心を澄み切らせること」です。


<参考記事>   
情けと花の仕組み    怒れる者に告ぐ!  日本人としての使命

(2008/03/11 掲載分 再掲)



いま一度、よくよく再確認しなければと、自戒を込めて再掲。


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実は私、ヤマタノオロチなんです

「実は私、ヤマタノオロチなんです」と言ったら驚くだろうか。(いや、驚くでしょ、フツー!!)

このことは、三年前、淡路島で行われた、とあるセミナーで判明した。

セミナー会場で、自由時間のような時間があり、私はマイクを握って自問自答をやってみせていたところ、周囲の参加者が眠りこんでしまった(どうやら封印してしまったらしい)。

すると講師がやってきて、私の顔を覗き込んだ。

私の目の奥を見透かすように、ジッと見つめてくる。

その時、ふいに喉元まで「なに見てんだよ!」という言葉が出てきた。こみ上げてきたというべきか。

私はなんとか、その言葉を押し殺し、講師の目を見返した。

だが、やはり「なに見てんだよ!」という言葉がグググッとこみ上げてくる。

私の様子に異変を察した講師は、私に質問をした。


「お前、誰だ?」

「え?私は●●(本名。ここでは「S」とする)ですが・・・」

「違うだろ。Sの中に入ってる奴だよ。なんとか言ってみろよ。誰なんだ!?」

しばらく押し問答が続いたが、ラチが明かないので、その会場から別の部屋に移動した。

またしても、講師が名前を聞いてくる。

「お前、誰なんだ?」

何度目かの問いに、私の口から出てきた名前は・・・












「ヤマタノオロチ」







「え?何これ?なんかの間違いじゃ?ヤマタノオロチって、一体・・・(大汗)」(心の声)

あらかじめ用意していた名前ではない。

それどころか、「ヤマタノオロチ」など、その瞬間まで思いつきもしなかった。

しかし、講師の執拗な質問責めにより、遂にその正体を現したのだ。




温厚で柔和な「S(本名)」の中(ハラの底)に、好戦的で激烈なヤマタノオロチ(ジンガ)がいる。

私のブログの記事が、激しく強い口調の「タカ派」の時と、

穏やかで優しい口調の「ハト派」の時があるのは、このためである。




つまり・・・そういうことなのだ。


この時、講師が使ったのは、おそらく「誰何(すいか)の法則」ではなかろうか。

「三度、名前を問われたら、必ず本当の名前を明かさなければならない」という法則である。


そうやって正体を現したヤマタノオロチ(=ジンガ)だが、こたびは「神の御用」のお手伝いをするという約束をさせられている。


つまり、「闇の勢力側」ではなく、「光の勢力側」に組するということになる。


わかりやすく言えば「改心したヤマタノオロチ」という訳である。


だから何も心配することは無い。

普段はヤマタノオロチを押さえ込んでいるし、やたらと噛み付いたりはしないから(笑)


ちなみに、「蛇」を押さえ込めるのは、「龍」。

どうあがいても、蛇は龍には敵わない。




ところで、ヤマタノオロチといえば、「草薙の剣」である。

ヤマタノオロチの中から、「草薙の剣」が出てくる。

ヤマタノオロチとは、いうなれば「分かつ知」と「身欲」の象徴。

ヤマタノオロチと「対峙」して、それを「退治」することで得られる神宝が「草薙の剣」。


「退治する」という場合、退治したものの「力」を取り込むという意味もある。

つまり、「ヤマタノオロチを退治する」とは、「ヤマタノオロチの力を取り込む」ということである。



並みの人間では、「取り込む」どころか、「取り込まれる」。
(欲望の虜になってしまう)


苦労に苦労を重ね、どんな苦難にも耐えうるような強靭な精神の持ち主である「真コトの者」だけが、
「草薙の剣」を正しく使える。


私が、このブログで何度となく「草薙の剣」にこだわるのは、このためである。




ヤマタノオロチが正体を現わした時の詳しい様子は、こちら↓
http://jinga123.blog118.fc2.com/blog-entry-22.html

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「二大悪神」と呼ばれる存在について

「二大悪神」と呼ばれる存在について。


『霊界物語』によると、「二大悪神」とは、「盤古大神(ばんこだいじん)」とその系統の神々、および「大自在天神(だいじざいてんじん)」とその系統の神々のことである。

盤古大神(ばんこだいじん)というのは、天則に違反して太陽神界から中国の北方に天降(あも)った神であるが、本来悪神ではなかった。

しかし悪魔(八岐大蛇・やまたのおろち及び金毛九尾)に利用され、悪の働きをするようになり、国常立大神(くにとこたちのおおかみ)の神政を破壊せしむとする悪神の総大将になったのである。

国常立大神の御隠退後、地球神界の主宰神となる盤古大神(ばんこだいじん)の神政は、「体主霊従(我れ善し)主義」である。

なお、国常立大神と正神の神々の神政は、「霊主体従主義」である。

もう一つの悪神である“大自在天神”は、天王星から北米大陸に降臨した剛勇無双の神であるとされており、この神も本来は悪神ではなかったのだが、悪魔(邪鬼(じゃき))に憑依されて、国常立大神に反抗することになる。

この神の主義というのは、「力主体従(強い者勝ち)主義」である。

これら二大悪神と三大悪魔を中心に、邪悪なる勢力が台頭するにつれ、国常立大神の厳しい神政に対して不満を訴えるものが多くなり、ついには隠退を申し立てるまでになった。

国常立大神は、世界の東北(丑寅=艮(うしとら)にあたる日本列島に御隠退することになった。

それ以来、“艮(うしとら)の金神(こんじん)”と呼ぶようになった。

「国常立尊(くにとこたちのみこと)が艮へ押し込められておりたから、艮の金神と名を変えられたのであるぞよ」(大正4年旧4月6日の大本神諭)


ジンガ注)

ちなみに「火水伝文」では、 「霊主体従」に、もう一つ「心」を加えて「霊主心従体属」を説いています。
この「霊・心・体」は、それぞれ「火・土・水」「口・心・行」「日・月・地」に対応しています。

<関連記事>
火土水のハタラキ


(2008.3/22掲載分 再掲)


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神示が降ろされるワケ(再掲/追記あり)

おふでさき、大本神諭、日月神示・・・そして、火水伝文(ヒミツツタエフミ)

このような、一連の日本神界からのメッセージとともに、世界には、あまたの預言書が存在する。

・聖書の黙示録(天変地異とイエスの復活)
・ホピの預言
・マヤ暦
・仏教の弥勒菩薩降臨・・・などなど。


メッセージが降ろされる時代や民族は違えども、三次元で肉体を持つ我々人類に、高次元の存在からもたらされるメッセージは、だいたい共通の目的があるように思える。


・いつか、大いなる変革の時が来る
・その時に備えて、意識を高めなさい
・カルマを解消しなさい
・不調和ではなく、調和をもたらす者となりなさい

・・・などなど。


では、「なぜ」、これらのメッセージが私達に降ろされるのか。

その理由は・・・「親の愛」・・・これに尽きる。



日本神界からのメッセージは

・神の計画では、次元転換は既に決定済みである。
・ただし、その前に起こる天変地異は、神の計画には無い。
・生まれ変われる者と、そうでない者がある
・ヒトとケモノの二極化が進む

・・・およそ、このような内容になっている。


少しでも、我が子を破滅から救いたいという親心
少しでも大難を小難にしたいとう親心

これがあるからこそ、各種のメッセージが降ろされている。

「人類が滅びようがどうしようが知ったこっちゃない」 というスタンスならば決してメッセージは降りてこない。

また、高次元の存在にとっては、その必要性も感じないだろう。

しかし、そうではないからこそ、何度も何度も、手を変え品を変え、くどいくらいに、口をすっぱくして、メッセンジャーを何人も使って、伝えてくるのではなかろうか。


人類なんてどうでもよければ、放っておくはずである。


あらゆるメッセージ・・・

それを伝えて下さった存在の切なる願いや親心・・・



・・・決して無駄にはしたくない。

(2008.2/14掲載分 再掲)

追記(2010.12/16)

ここで、もう一度、ハッキリさせておく必要がある。

確かに、ヒトの本質は神であるが、その輝きは曇りに曇っている。

その曇りを取り払うのには、ある程度の「苦痛」を伴う。

汚れが強ければ強いほど、研磨剤を使ってゴシゴシと磨かなければ、汚れは落ちない。

風呂場でアカを落とすのと同じで、ナイロンタオルでゴシゴシこするのだ。

それを、やわらかいタオルで表面だけフワッとなでる程度では、とてもじゃないが汚れなど落ちはしない。

目に見える「体」の掃除でさえ、このようであるのに、目には見えない(自分では気づきにくい)「心」の掃除が楽に終わると思ったら大間違いである。

汚れに汚れ、穢れに穢れ、曇りに曇った身魂をキレイにするには、それ相応の労力がいる。

「そのまま」「あるがまま」でいいというのは、「奴隷」や「白痴」のままでいいということを意味する。


その裏を返せば・・・

気づくな。そのまんま奴隷のままでいろ。身魂磨きなんてやめとけ。
ゲームや遊びにうつつを抜かし、世界や日本の行く末など考えず、
面白おかしく暮らして、バカげたテレビ番組を一日中見ながらゲラゲラ笑い、
いつまでも腑抜けのままでいろ。


・・・そう言われているのと同じである。

ヒノモトの民を、バカにするにもほどがある。

そういう情報の発信源はどこ(誰)であろうか。手遅れになる前に、よくよく考える必要がある。

そのメッセージは、本当に、心底、必死の思いで泣き叫ぶほどの真剣さで「我が子」を思う「親心」が感じられるだろうか。

それとも・・・


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世界各地に天降った神々と悪の三大将

◆「火水伝文」我空徳生 p141最終行~p142

『蛇の力』を底底に封印せしは、その神力思凝り固まりて《快欲》に囚われたる身欲悪、現れい出たれば『魔釣りの経綸』のハタラキ現れい出る様、仕組みありての事でござりたのじゃ。

《逆十字》の陰陽はそれぞれにオロシア、インドの地に相呼応して思凝りたが始めにござるぞ。

知恵なる『蛇の力』はユダの地に思凝りて、《逆十字》に副いハタラク《我善し》の神は中国北方に天降り来たりて《力善し》の神は北米に天降りたのぞ。 それぞれ仕組み構えありてのことでござる。

【元つ真釣りの経綸】はこの方の構えるヒノモトが、元つ要の真中でござるよ。


ジンガ注)

この内容は、「日月神示」や「霊界物語」にも見られます。
以下、既にご存知の方も多いとは思いますが、いちおう参考までに紹介しておきます。


◆「日月神示」(岡本天明)

元の邪気凝りてわいて出た悪の種は、邪鬼(じゃき)と大蛇(おろち)と四ツ足となって、邪鬼には、二本の角、大蛇は八ツ頭、八ツ尾、四ツ足は金毛(きんもう)であるから気付けておくぞ。

守護神どの、人間どの、だまされぬ様に致してくれよ。



◆「霊界物語」(出口王仁三郎)

露国(ロシア)のあたりに天地の邪気が凝り固まって悪霊(あくりょう)が発生した。

これが即ち素戔嗚命の言向(ことむけ)やわされた、かのみにくい形の八頭八尾の大蛇の姿をしていたのである。

この八頭八尾の大蛇の霊がみたまを分けて、国々の国魂神(くにたまかみ)および番頭神(ばんとうがみ)なる八王八頭(やつおうやつがしら)の身魂(みたま)をおかし、次第に神界を悪化させるように努力しながら、現在に至ったのである。

しかるに一方インドにおいては、極陰性の邪気が凝り固まって、金毛九尾白面(きんもうきゅうびしらおもて)の悪狐(あくこ)が発生した。

この霊はおのおの、また霊を分けて、国々の八王八頭の相手方の女の身魂にのりうつった。

しかしてまた一つの邪気が凝り固まって鬼の姿をして発生したのは、ユダヤの土地であった。

この邪鬼(じゃき)は、すべての神界ならびに現界の組織を打ちこわして、自分が盟主となって全世界を妖魅界(ようみかい)にしようともくろみている・・・

この悪霊の三つどもえの働きによって、諸国の国魂の神の統率力はなくなり、地上の世界は憤怒(ふんぬ)と憎悪と、嫉妬(しっと)と、羨望(せんぼう)と闘争などの諸罪悪にみちみちて、ついに収拾すべからざる三界の紛乱状態をかもしたのである。(大正10年10月20日、霊界物語第1巻)


ジンガ注)

これら「三種の悪魔」を整理すると・・・

「八岐大蛇」
「金毛九尾の悪狐」
「邪鬼(じゃき)の霊」

・・・これを「日月神示」では、「悪の三大将」と表現しています。



<関連記事>
火土水のハタラキ

(2008.3/21掲載分 再掲)

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真の教育とは?

あるブログの記事を紹介します。

<以下、転載>
あるメルマガの記事にとても感銘を受けました。
その内容を紹介します。


新米の先生が5年生の担任として就任した時、
一人服装が不潔でだらしなく、
どうしても好きになれない少年がいました。

先生は、中間記録に少年の悪いところばかりを
記入するようになっていました。

ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。

「朗らかで、友達好きて、誰にでも親切で、
勉強も良くでき、将来が楽しみ」
とある。
 
先生は、これは何かの聞違いだ、他の生徒の記録に違いない、 
そう思った。

2年生になると
「母親が病気て世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。
 
3年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」
そして後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い悲しんでいる」
とあり、

4年生になると
「父は生きる意欲を矢い、アルコール依存症となり、
子供に暴力をふるう」
とあった。

先生の胸に痛みが走った。
ダメと決め付けていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている
生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」

少年は輝くような瞳と笑顔で「はい!」と応えた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習・復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手を上げた時、先生に大きな喜びが沸き起こった。
 
少年は自信を持ち始めたのだ。

クリスマスイブの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。
後で開けてみるど香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

先生はその香水を身につけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
気が付くと直ぐに飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い!今日は素敵なクリスマスだ。」

6年生では、先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から 1枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。
そして、今まで 出会った中で1番素晴らしい先生でした。」

それから6年後、またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。
僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。
お陰で奨学金をもらって医学部に進学することができました。」

10年を経て、またカートが届いた。

そこには、先生と出会えた事への感謝と
父親に叩かれた体験があるから
患者さんへの痛みが分かる医者になれたと記され、
こう締めくくられていた。

「僕は5年生のときの先生を思い出します。
あのままダメになってしまう僕を救って下さった先生を、
神様のように感じました。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
5年生の時に担任して下さった先生です。」

そして1年後
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座って下さい」
と一行添えられていました。

新任の先生は当時22歳
学校を卒業したばかり、
学問の教え方についての意気込みはあったものの、
人を育むという 
「本来教諭が身につけていなければならない」
ものを少年によって再認識させられたそうです。

少年の過去、生い立ちを知ったことで眼を開かされた先生。
先生の深い愛情で 自分を取り戻した少年。


<転載終わり>

出典は、こちらのブログです↓
http://blog.livedoor.jp/nomuraakio2/archives/50817985.html

随分前に読んで、泣いてしまった記事です。(←実は涙腺が弱い)

普段、いかに固定観念や偏見や色メガネで他人を見ているか・・・

これは自分に対しても当てはまります。

「あの人は、こういう人だ」「自分は、こういう奴だ」という枠を、一度、取っ払ってみるのも必要かと。


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歓喜の花道

日本列島に光の柱が立つ

一つ、また一つ・・・あちらに一つ、こちらに一つ

柱の数は次第に増えていく・・・


光の柱を立てるのは、気づいた一人ひとり


無数の光の柱が日本列島に立てば、日本列島が浮上する(霊的な意味で)

そして、それが世界に広がり、地球全体が「引き上げられる」




暗闇に青く輝く、宇宙の宝石、地球・・・その動向を全宇宙が見守っていた。

一時は、どうなることかと思われたが、ヒノモトの民は、見事、その使命を果たすことができた。


地球が全てを乗せて、喜びの円舞を舞う

それこそが、宇宙が待ちに待った瞬間


「その時」には・・・


全宇宙より、大いなる祝福と拍手喝采の嵐が降り注ぐ

神も喜び、人も喜び、万物も喜び、すべてが喜ぶ



これから先・・・幾多の試練に出会うだろう。いばらの道もあるだろう

それでも、一人ひとりが使命を果たすのだ。自分が背負えるだけの使命を。

一人ひとりの歩みは、誰にも知られず地道なものではあるけれど
一人ひとりの歩みは、どんなに小さくても全宇宙が注目している


飛びぬけた英雄はいない。誰もがヒーロー


そして、「その時」には、人知れず流した涙の数だけ、歓喜の涙で癒される


そして、一人ずつ、「花道」を歩いてゆく

「花道」の両側には、無数の笑顔と涙、鳴り止まない拍手、降り注ぐ花びら


「おめでとう」

「よくやった」

「お疲れさま」

「苦しかったろう、辛かったろう」

「あなたの全てを見ていたよ」

「一人で寂しかっただろう」

「あの時は、本当に大変だったね」

「でも、ものすごく、がんばったね」

「一時は、どうなることかと、本当に心配したんだよ」

「よくぞ・・・よくぞ、最後まで使命を全うしてくれた」

「あなたを誇りに思います」

「ありがとう」

「おかえりなさい」


数え切れないほどの祝福と、ねぎらいの言葉

見覚えのある顔、なぜか懐かしい面影、古いアルバムの写真で見た、あの顔、この顔・・・

すべて笑顔で祝福を送ってくれている


「その時」、初めて、こんなに多くの存在が、自分を見守っていてくれたのだと知る

「ずっと一人だと思っていたけど、一人じゃなかったんだ」と。



「花道」を歩きつつ、自分自身も感極まって涙があふれてくる

自分をサポートをしてくれた全ての存在に、あらん限りの「感謝の言葉」を伝えたい

でも、もう涙で言葉にならない・・・歩きながら号泣・・・

「ありがとう」

「あなた方の支えがあったからこそ、ここまでがんばることが出来ました」

「あなた方の支えが、どんなに心強かったことか」


しかし、万感の思いは、言葉にならずとも、彼ら彼女らに、確かに伝わっている



長い長い時間をかけて、ようやくたどり着いた「歓喜の瞬間」

そしてあなたは新たな世界の住人となる



実は以前、この「花道」を歩いていくイメージが、ふいに浮かんでしまい、
車の運転中にもかかわらず、号泣してしまったことがあった。(←バカ?)
その時、車の中ではエルガーの「威風堂々」がBGMで流れいた。

たとえ今は辛くとも、苦しくとも、誰に知られずとも、たった一人でも・・・
「その時」のことを思えば、がんばっていける・・・そんな気持ちになった。

「見事、自分の使命を果たし、歓喜の花道を歩こう!」と。

それまでは、くじけず、逃げず、投げ出さず、
たとえ歩みは遅くても、それぞれの道を歩いて行くしかない。

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恥を知るということ

「恥を知れ!」

このような叱咤は、日本にしか無い

なぜならば、日本人は「恥」を何よりも嫌うからだ

どうしてそうなったのかは不明だけれど

確かに、「恥」を嫌う精神性が、この国にはある



では、「恥を知る」とは何か

 恥 = 耳 + 心

つまり、己の心に耳を傾けるということだ

己の心に耳を傾けて、心の底の底で、どう感じるか

己の心の深いところからの答えが、真の答えだ



頭でこね回した理屈や詭弁に、心は無い

心の無いところには、恥も無い



「恥を知れ!」というのは、言い換えれば

「自分の胸に手を当ててみろ!」ということ

自分の真心からの声に従うということ


欲心があると、心が曇る

そして、いつしか、欲心で心が曇っていることさえ忘れてしまう


だから、自分の心に再び問おう

「汝、恥を知りおるか」



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斬り捨て御免!

突然ですが、このたび、思うところがあり、ブログのスタイルを変更いたしました。


コメント欄を「斬り捨て」ました。(斬り捨て御免!)


そのため、今後、記事をアップした際には、コメントの投稿が出来なくなります。

ただし、過去記事および本日のコメントには全て目を通しておりますし管理画面にはコメントが残っております。



実は金曜日の夜10時に記事がアップされるよう「予約投稿」を設定して映画を観に行っておりました。

映画はもちろん、「SPACE BATTLE SHIP ヤマト」です。

映画が始まる少し前、携帯からアルクトゥルスさんのブログで 富士での激突始まれり!

の記事を読み、私の中でスイッチが入りました。


「もう、チンタラやっちょる場合じゃねぇな」と。

つまり、コメント欄の書き込みに、いちいち懇切丁寧に対応している場合ではないと思った訳です。

コメント欄の書き込みというのは、ブログ主にとって、「拍手」以上に励みになるものです。

時には暖かく、時には厳しく、私を見守ってくださった皆様・・・本当にありがとうございます。


しかしながら、一部の読者においては、「他人の家の玄関先に居座って、その家の主人に吠え掛かるばかりか、訪問客にも噛み付き、主人の留守をいいことに我が物顔に振る舞う」始末。

節度も何もあったものではない。そして、その魂胆は既に明白。


「俺に喧嘩を売ろうってのか?アホンダラ。その手にゃ乗らねぇよ」


元はといえば、私の対応の悪さが原因であり、ある意味、私自身が「引き寄せ」た事態であります。

言い換えれば、私の中の「闇の部分」が明るみに出たともいえます。

そしてまた、管理人としての「甘さ」も拍車をかけました。

お恥ずかしい限りです。

読者の皆様には、大変、お見苦しいものをお見せしてしまい、誠に申し訳なく思っております。

この場を借りて深くお詫び申し上げます。



しかし、既に述べた通り、もう、チンタラやっている場合ではなく、

エネルギーを「ブログ記事」のみに集中できるようにしなければ、

いつまで経っても、泥の中でゴチャゴチャやっていることになります。

海に浮かぶ戦艦も、人が乗り移れるようなスロー航行では、
アッという間に船体に「カキ」がビッシリ取り付き、やがて航行不能になってしまいます。

一歩踏み出せば噛み付かれ、また一歩踏み出せば噛み付かれ、それにいちいち対応していては、
なかなか先に進むことが出来ず、こたびの最終決戦に出遅れることになります。

そんなことでは、私をお呼びいただいた方々に、あまりにも申し訳ない。



だから、「苦情や文句は背中で聞いて、ただひたすら書き続ける」ことにしました。

もとより、波風を起こすつもりでブログをはじめたからには、賛否両論はあって当たり前。

しかし、いちいち論戦をするつもりは毛頭ございません。

「ジンガへの批判」は、思う存分やっていただいて構いません。

私にとっては無料でネガテイブキャンペーンをやっていただくことになります。

むしろ、「ジンガってのは、そんなに酷い奴なのか?」と興味を持てば、来客も増えますし(笑)

私に対する個人攻撃については、「勝手にやっちょれ!!」ということで捨て置きます。


ブログの書き手としては、「ブログの中身」こそ、充実させるべきだと考えます。


「俺がどういう奴かは、記事の中身で判断してくれ」ということです。



これからは、私の「真ん中」が命ずるままに、時に熱く、時に激しく、また、時には静かに、

たまには愉快に、駄文を書き綴って参る所存でございます。

それが今の私に出来ること、やるべきことであると考えます。


さて、足かせを外したジンガが、これから何を書くのか!「ジンガ節」が炸裂するのか?!

乞うご期待!!(といっても、特にこれといったネタはねーんだけんどもヨ)


これからは、皆様の声無き「拍手」が、私の励みになります。

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草薙の剣(超短編フィクション)

ついにその時が来た。

地球始まって以来の大峠。 三千年の昔から仕組まれた、水も漏らさぬ神仕組み。

ユダヤが立て替え、スメラが立て直す仕組み。

まさに「日月神示」が示した通りだ。

全人類は一人残らず巻き込まれ、数多くの天変地異や苦難を経て、ようやくここまでたどり着いた。

そして、最後のステージ。

一人一人が、本当の自分自身と真正面から向き合う瞬間。

自分の他には誰もいない。

ここが「どこ」なのか・・・よくわからない。
目をつぶっているのだろうか、回りは全て漆黒の闇だった。 上下左右の感覚もなかった。

全ての星が消えた宇宙空間に、たった一人で漂っているというような感覚だ。熱くも寒くもなかった。

いつのことだったか・・・あの日、全人類の「第三の眼」が一斉に開眼し、霊的な「目隠し」が外されてからは、現界と霊界の岩戸が開き、区別が無くなってしまったのだ。

そして、今が一体「いつ」なのか・・・時間さえも定かではない。
ただ一つ、ハッキリと認識できるのは、「自分が今、ここにいる」ということ。ただ、それだけだ。




渡されたのは「草薙の剣」。

形は古代の剣に似ている。

「草薙の剣は剣であって剣ではない。言葉通りに全てを実現する生きた言魂であるぞ。このこと、ゆめゆめ忘れるでないぞ」 と言い渡されたのは覚えている。

ここに来て、どれくらいの時間が経ったのかも、もはや分からなくなっている。

過去、現在、未来・・・直線的に流れていた時間軸が、一気に折りたたまれて、全ての時間的概念が、「今」に集約されている。

だから、時間の経過を考えることすら、不可能に近い。

ふと気付いたら、ここにいて、いつの間にか、手に「草薙の剣」が渡されていたのだ。

既に幾多の転生での記憶は全て一つに集約されて自分の中に認識されている。不思議な感覚だった。

しかし今、自分が見ているのは幻なのか夢なのか、はたまた現実なのか・・・その区別も、実は分からなくなっていた。




ふいに何者かの気配を感じて振り向くと、そこには鬼が憤怒の形相で立っていた。

見ていると、鬼は大きな剣を振りかざし、私を攻撃しようとした。

私は恐ろしさのあまり、持っていた剣を振りかざした。

恐怖から逃れるため、自己防衛のために、その鬼に攻撃を加えようとしたのだ。

私は言い渡された言葉を、すっかり忘れていた。

フラフラと振り下ろした剣は、鬼の肩口をかすめて、小さな傷を負わせた。

すると、どうしたことだろう。

自分の肩に傷口が開き、血が流れ出したのだ。
ズキズキとした痛みが、実感として感じられた。

「これは夢や幻なんかじゃない。これこそが、現実なのだ」ということが、実感を伴って認識できた。

そこで私は我に返り・・・そして、思い出した。



「あれは・・・あの鬼は、自分自身なのだ」と。



自分の中の闇の部分が鬼の形となって、今、自分の前に現れている。

人の魂が、最後の最後に向き合うのは、神でも悪魔でもなく、自分自身なのだ。



それを今、ハッキリと思い出した。

「日月神示」に書いてあった、“悪を抱き参らせよ”という言葉が頭をよぎった。

「今、この剣を振るえば、傷つけるのは相手ではなく自分なのだ。どんなに恐くても、使う訳にはいかない。
この剣を使うということは、すなわち自殺行為なのだ」

私は自分にそう言い聞かせると、恐怖心を持ちながらも、ありったけの勇気を振り絞り、体の前に構えていた「草薙の剣」を、ゆっくりと下に降ろした。

鬼は勝ち誇ったようにニヤリと笑い、私に向かって剣を振り下ろした。

「痛い!」と思った瞬間・・・

鬼は私の目の前から姿を消した。


そして、真っ暗闇だった視界の、はるか彼方に光の点が一つ・・・

キラリと光ったと思うと、それは見る間にグングン大きさと輝きを増し、やがて目を開けていられないほどの明るさになり、私を包み込むように迫ってきた。



そして私は、光と一つになった。

温かい、それでいて、とても懐かしい感覚・・・

私は、長い長い、気の遠くなるほどの旅を終え、親のもとへ返ってきたのだ。

「ただいま・・・」


(08/02/20掲載分 再掲)

宮部みゆき原作のアニメ『ブレイブストーリー』のラストシーンが、まさに、このイメージです。

戦っているのが、実は自分の影であることに気付いた主人公は・・・(詳しくはアニメをご覧下さい)


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愛を貫いた男

彼は人を心から愛した。

彼の愛には一切の分け隔てが無かった。

彼は、自己を深く愛した。

そして、自己を愛するのと同じように、他人を愛した。

親が子を慈しむように、真心を込めて愛し抜いた。

彼の愛は、結局のところ、彼の命が終わるまで、本当の意味で受け入れられることは無かった。

ある者は彼を裏切り、ある者は彼を敵とみなして責めた。

そして彼に鞭打ち、茨の冠をかぶせて重い十字架を背負わせ、両手両足を釘で十字架に打ちつけた。

そして彼は、最後に槍で貫かれた。


彼の名はイエス。ナザレのイエス。


人々は初め、彼を救世主と呼んで称えたが、最後には拒否した。



彼は、愛するが故に、時に厳しかった。

見せかけだけの愛を見抜き、真実の愛を説いた。

形だけの愛ではなく、形にとらわれない愛を説いた。

彼は、どんな仕打ちを受けても、復讐などを微塵も考えたりしなかった。

彼は、どんなに拒絶されても、怒りなどを感じたりしなかった。

彼の心は愛で満ち溢れていた。

およそ人間が感じる肉体的苦痛の極限を超えてもなお、愛の方が勝った。


彼は最期まで、愛することを止めようとしなかった。

彼は最期まで、愛することから逃げ出そうとはしなかった。

彼は最期まで、愛を投げ出したりしなかった。


彼が生きている間、その大きすぎる愛は、本当の意味で理解されることはなかった。

しかし、彼は全身全霊をもって愛した。

真実の愛を体現した。

愛することにおいて、出し惜しみなどしなかった。

無条件の愛だった。

たとえ受け入れられなくても、拒絶されても、憎まれても、裏切られても、

そして殺される瞬間までも、彼は心から人を愛し続けた。

彼はただ、無邪気に、真剣に、心の底から、人を愛した。

ただ、愛した。


彼の魂は天に召されたが、彼の手には一輪のバラが握られていた。


20090513181924_img1_45.jpg


バラの花は真実の愛を意味していた。

しかし、バラの花には棘があった。

彼は、棘に刺されて傷つき、血を流してもなお、バラを手放さなかった。

彼は、棘もろとも、バラを愛した。

バラそのものを愛した。

真実の愛を、無条件の愛を、彼は身をもって人々に示した。



彼は、死の間際に、再来を約束した。

人々は彼の言葉を信じ、長い間、彼の再臨を待ち続けた。

そして彼は、人々の魂の底に蘇えった。

彼の魂は、キリスト意識と呼ばれる存在となり、全人類の魂の底に宿った。



彼は人々に語った。「私と同じことが、あなたにもできる」と。


彼が示した愛と同じものを、我々が受け継いでいることを教えるために。

彼は、人々の魂の底に、彼が示したものと同じ愛があることを知っていた。

彼は、人々の内にある愛を、肉の身を持って、形として示してくれた。


キリストの再臨は、目に見えるような形では訪れない。

それは、どこか遠くから、何かの乗り物に乗って空から降りてくるようなものではない。


救世主は、外からではなく、一人一人の心の中にやって来る。

キリストは、キリスト意識は、一人一人の心の中、魂の底に再臨する。

いや、既に再臨している。

それに気づくことが、はじめの一歩となる。


かつて、彼は語った。「私と同じことが、あなたにもできる」と。



受け入れられずとも、拒絶されても、たとえ憎まれてもなお、愛し続けること。

理解されなくても一向に構わず、何の条件も必要としない、無条件の愛。

何も求めない、何も必要としない、無償の愛。

何も求めず、ただ、愛を与えるのみ。

その愛は、決して憎しみなどに変質することがない。

その愛は、いつまでも変わることがなく、尽きることもない。

それこそが真実の愛。

その愛は、叶うことのない片想いにも似ている。




私達は、愛を学ぶために生まれてきた。

真実の愛とは何かを学ぶために。


真実の愛とは何かを知る時、そして、真実の愛を体現する時、

その時こそ、魂の底にキリストが再臨する。キリストの復活である。


バラの花を、その棘の故に嫌うことなく、手放すことなく、

たとえ傷つけられようとも、しっかりと握り続けること。


ボロボロになっても決して手放すことなく握り続けたバラの花。それは真実の愛。


その時、宇宙の全存在が祝福する。

「よくぞ真実の愛を示してくれました」と。

いつかバラは、胸一杯のバラの花束となっているだろう。

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真の日本とは何か。それは武士道でも仏教でも儒教でもなく、そして神道でもない。 それらを遥かに超える大昔、太古の神話の時代の日本。 「日の元」「火の元」「日の元つ国」「神気出ずる国」 「世界の雛型」「世界の親」・・・それが本来の日本。一人でも多くの日本人が真コトの「神響き(カムヒビキ)」を鳴り成らせることで、最後には日本人の意識が「100匹目の猿現象」でガラリと変わり、「真の日本」が現れる。 日本が変われば世界が変わる。 日本が変わらなければ世界も変わらない。 ユダヤの民は「立て替え」の御役。スメラの民は「立て直し」の御役。ユダヤの民は、これまでキッチリと御役を果たしてきた。これからが本当の日本の出番となる。
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