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ヒトとケモノの分かれ目(2)

草薙の剣は剣にあらず。

生きた言魂のことなり。

その象徴が「剣」。

sinwa_12.jpg

己が心に刃を持ちて、それを言霊や文字として表せば、他人を傷つける剣となる。
さらに、実体として金属製の刃を持って他人に切りつければ、犯罪者となる。


以前、秋葉原で、ダガーナイフを持った男が刃物を振り回し、他人を切りつけた事件があった。
ダガーナイフは諸刃の剣である。

当然、草薙の剣も諸刃の剣である。
相手に切りつければ、それはそのまま、自分に返ってくる仕組み。

せめて、心に刃が生まれても、それを言霊にしなければ、自他の被害は最小限に留まる。
しかし、心に生まれた刃を言葉にしてしまえば、「覆水盆に返らず」の言葉通り、もはや取り返しがつかない。
肉声で「声に出す」のも、文章で「文字にする」のも、同じこと。


言葉であろうと、刃物であろうと、「切りつける」のは、神の世界では同じこと。

振りかぶった剣を、そのまま振り下ろすか。
それとも、踏みとどまって鞘に収めるか。


ここがヒトとケモノの分かれ目である。


心に刃を持ち、さらに言葉に出して切りつける。
場合によっては、見物人にも見境なく切りつける。
「まあまあ」と止めに入った通行人にまで「黙ってろ!」と切りつける。

抜き身の刀を持ち、滅多やたらに相手構わず切りつける狂気の沙汰。

こうなると、もはやケモノに堕ちてしまった自覚すらない。
頭に血が上り、逆上し、誰の言葉も届かない。


本人も「ケモノに使われている」ことに気付かない。


「せっかくの神宝である草薙の剣を、そなたは一体、何に使うておるのか!!」

「自分が何をしておるか、よくよく省みよ」



「刀を抜かずに済ませるのが、真のもののふ」である。

「弱いから戦えない」のではなく、「強いけど戦わない」

「言挙げできない」のではなく、「言挙げをしない」

それがヒノモトの民。古来からの美しい伝統である。


釈迦やイエスの境地には、まだまだ、ほど遠い未熟者の自分。

心の中で剣を振りかぶることがあっても、それを踏みとどまり、
せめて言葉や文字にせず、鞘に収める意志の強さは必要である。

「やられたからやり返す」「言われたから言い返す」のでは、
いつまでたっても「戦いの連鎖」は止まらない。

ケモノの挑発にのり、剣を振り下ろせば、こちらの負け。
ケモノと同等にまで堕ちてしまう。

しかし、踏みとどまれば、こちらの勝ち。


負けるが勝ちの仕組み。


胸の前に「草薙の剣」をスックと立て持ち、決して他を傷つけることには使わない。

つまり、武器としては使わないということ。

胸の前にスックと立て持った「草薙の剣」を光輝かせ、

周囲に光をもたらすのが、ヒノモトの民のお役目。


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この記事は2010.12.7掲載分ですが、「ヒトとケモノの分かれ目」(記事はこちら)と関連する内容につき、
タイトルを変えて再掲させていただきました。既読の方はご了承ください。

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ヒトとケモノの分かれ目

いまの時節、ヒトとケモノの分かれ目である。

「獣化(じゅうか)」するか、それとも「十化(じゅうか 十=神)」するか。

「獣化(じゅうか)」する可能性は誰にでもある。

普段、何不自由なく生活している分には、ヒトとケモノの見分けはつかないかもしれない。

しかし、極限状態に置かれたとき、ヒトとしての「本性」を現すか、ケモノに成り下がるか。

この場合、「ケモノの本性を現す」というのは、言葉として正しくない。

ヒトの本性は、「喜びの神」そのもの。断じてケモノが本性などではない。


自らの「獣化」を食い止めるのは自分しかない。誰も止めてはくれない。

それには、「強き心」が必要である。

自らの心の手綱をしっかり保持し、ケモノを暴走させてはならない。

「ここから先はケモノの領域だ」「これは、ヒトのやることではない」と判断して踏みとどまるチカラ。

それは日常生活の中で養われる。

ちょっとしたことでキレるような、辛抱のできない弱き心では、

いざという時、あっけなく「ヒトとケモノの境界線」を超えてしまう。

そんなことでは、神に対して恥ずかしいではないか。申し訳ないではないか。


たとえ周囲の人間がケモノに成り下がっても、

自分は絶対にケモノには成り下がらないという決意は、

いま、ここで、キッチリと固めておけ。

それがお前の杖となる。

ケモノ同士の争いに巻き込まれんじゃねーぞ!!

ヒノモトの民として生まれてきたことを、その使命を忘れるな!!



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▼おすすめブログ(なごみ系)▼

今回は「おすすめブログ(情報系)」の記事(記事はこちら)で予告した通り、「なごみ系」ブログをご紹介します。

ちなみに「おすすめブログ」(記事はこちら)で紹介したブログは、テキストの転載を基本としているので、厳密に言えば「ブログ型書籍」ということになるかと思います。これについては当然、著者も了解済みと思われます。
(自身のブログにリンクをはってますし)

さて、今回ご紹介するブログは、「なごみ系」という表現がピッタリのブログです。

分かりやすい言葉で書かれており、清々しい読後感があります。

また、ブロガーのお人柄なのか、読んむと心が「ほんわか」してきて、あったまります(湯たんぽか?)


今年に入ってからブログを始めたようですが、コツコツと更新を重ねているようです。

ランキングが下の方なので、あまり目立ちませんが、記事の内容はしっかりしています。
(この記事を書いた時点では108位でした)


え? 「前フリはいいから、早く紹介しろ」って?



こちらのブログです。ご覧ください。

そして、よろしかったら、是非、「応援クリック」(記事の一番下にあります)をお願いします!


「愛と感謝を光とともに」ブログはこちら


今後は「真日本建国」ブログ以上に、

「愛と感謝を光とともに」ブログはこちら)のブログを応援していただけると、嬉しく思います。

そうすると、彼女もはりきって「いい記事」をどんどん書いてくれると思います。

どうか、みなさんで応援してやってください。


「真日本建国」ブログ以上に・・・というのは言葉通りの意味です。

私のブログとランキングが入れ替わっても構いません。


ちなみに、私はブログの執筆者とは何の接点もありませんし、面識もありません。

唯一のやりとりは、私のブログで紹介していいかどうかの確認を、メールで一往復しただけです。


今回、ご紹介したブログは、まだまだこれから、沢山の「いい記事」を書いてくれると思います。

どうか、あたたかく見守ってやってください。


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「それがどうした!」

アセンョン、予言、預言、神示、etc・・・


世の中、あらゆる情報源から、色んな情報が出回っている。



でもなー



それら全ての情報に目を通したからって、肝心要の「自分(自分の心)」が変わらなければ、何もならんやろ。

つーか、意味がない。


まさに、猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏・・・である。


ここでハッキリ言っておこう。



「それがどうした!そういうお前はどうなんだ!?」と。



まずは自分の心の中の「戦(いくさ)」を終わらせるのが先決だ。




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己の価値を決むるは己

昔、マンガで見た台詞が、今でも心に残っている。


「己(おの)が価値を決むるは己(おのれ)」


自分以外の誰が、最も総合的に「自分」という人物を評価できるというのだろうか。

価値基準を自分に置けば絶対。
価値基準を他人に置けば相対。

普段、無口で大人しい男の内面が、どれほどの情熱で煮えたぎっているか、どれほどの反骨心を持っているか、どれほどの行動力を秘めているか、どれほどの度胸を持っているか、分かるだろうか。

軽薄でチャラチャラしているように見えても、その人物が、人知れず、どれほどの涙を流しているか分かるだろうか。

外見だけでは、とうてい計り知れないのが人間だ。

外見ほどアテにならないものはないというのも真理。
外見ほど雄弁に人を語るものはないというのも真理。

自分自身の奥深さについて知れば知るほど、他の人の奥深さにも思いが及ぶ。


「己の価値を決むるは己」・・・今でも胸に響く言葉である。


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おすすめブログ(情報系)

今回の「おすすめブログ」は、「情報系」です。

「情報系」というからには、書店に並んでいるような「少し古い情報」ではありません。

ネットならではの、「旬の情報」という意味です。

このブログ、すでにご存知の方も多いと思いますが、

もしかしたら「知らない」という方もいらっしゃるかと思い、改めてご紹介させていただきます。

「見たことがない」という方は、是非一度、ご覧ください。


シリウス文明がやって来る Kagari ∞ Kazuki のブログ


このブログをご覧いただければ分かると思いますが、このブログは、

情報の「質、量」ともに他の追随を許さないほど群を抜いています。

そして、とてもじゃないけど書籍には出来ないほどデンジャラス、かつ、ディープな内容が盛り沢山!

私は、ほぼ毎日、このブログをチェックしています。

念のため申し添えますが、私は、このブログの執筆者とは何の関係もありませんし、

面識も、メッセージのやりとりすらありません。


ただし、惜しむらくは、このブログ、ランキングには参加していません。

ですので、「お気に入り」に追加しておくことをお薦めします。



さて、昨年の11月にアルクトゥルスさん直々の「ご指名」により、

ランキング300位ぐらいのところでウトウト居眠りしていたのを叩き起こされました(笑)

以来、色々と記事をアップして参りましたが、少しペースダウンしようかと思っています。

そろそろ「在庫」も切れてきたことだし、「もはや長居は無用」。

もしかしたら、また眠りこけるかも知れませんが(笑)




それで、私なりに、せめてもの「恩返し」の意味を込めて、

私が紹介して引き上げてもらったように、今度は他の「良質なブログ」を皆さんにご紹介しようと思います。



なぜ他のブログを紹介するかというと、やはりランキング制度の性質上、

どうしてもランキング上位のブログの記事ばかりが目立ってしまい、

「良質な記事」が埋もれている場合が少なくないと感じたからです。

せっかくの「いい記事」が、ランキング下位であるがために埋もれてしまうのは、

いかにも残念です。「いい記事」は、みんなで共有したいですし。


実は、そのつもりで、最近、「にほんブログ村」の「スピリチュアル」カテゴリーのブログを

ランキング上位から最下位まで巡回して「良質なブログ」を探しておりました。


私が考える「良質なブログ」とは・・・

・全体的に「上品」というか、なんとなく「品」がある
(トンデモ系ではない。下品ではない)

・記事のタイトルが奇抜すぎない
(スポーツ新聞の見出しのように「刺激的で面白ければいい」というものではない)

・読後感が清々しい
(読んで元気になる。勇気が沸いて来る。心が勇んでくる。前向きになれる。感動する)

・一つの記事が長すぎない
(ダラダラと長いのは読み疲れる。適度な分量。当然、言葉づかいもキチンとしている)

・ブロガーの人柄の温かさや明るさが滲み出ている
(誠実で、真摯に、一途に情報発信をしようとする真心が感じ取れる。他人の批判をしない)

・他のブログのコピペばかりではなく、自分の意見や考えを自分の言葉でキチンと述べている

・全体として、「まとも」なことを書いている
(いちいち納得できる。共感できる。うなづける。参考になる。有益な情報が得られる)


だいたい、このような観点から、色んなブログを探して来ました。

これら全ての要素を満たさなければならないのではなく、だいたいにおいて、

「ああ、これはいいブログだ」と判断できれば、それでいいと思っています。

既に、「これは」と思うブログを発見済みですが、一日や二日で判断するのではなく、

少し日数を置いて、更新頻度も確認しながら様子を見ていました。



という訳で「次回予告」です。

今回は「情報系」でしたが、次回は「なごみ系」のブログをご紹介するつもりです。お楽しみに~。


え? 「次回は、いつだ」って? それはナイショなのだ(^^)b


ここまで書くと、すんげー期待するかも知れませんが、あまり過度の期待はしないでくださいね。
(と言いつつ、さんざん気を持たせたクセに・・・)

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右手のウ○チ

以前、トイレで右手親指にウ○チがついた時のこと。

(詳しい状況は本題と関係ないので割愛する)


「あちゃ!しまったあ~・・・でも、まぁ、これがホントの、ウンのつきや♪」

心の声1「なんか、ネタっぽいぞ、この台詞」
心の声2「すんまそん。ネタです(あっさり自白)」



・・・コホン(汗)  それはさておき。



最初、なんとか右手だけでウ○チを落とそうとして、色々とやってみた。

だが、いくら頑張っても、限界がある。

指先でゴニョゴニョしていてもラチがあかない。



さて、どうするか・・・



止むを得ん・・・最後の手段だ。


何の罪もない左手に汚れてもらおう、と決意した。

左手は、私の決意を受け止め、何一つ文句を言わず、自らも汚れながら、汚れた右手をゴシゴシと洗ってくれた。


すると、ア~ラ不思議♪


右手だけでは、なかなか落ちなかった汚れが見る見るうちに落ちていくではないか。

そして、最後には両方の手がキレイになった。

めでたし、めでたし♪・・・(おわり)



これで終わりである。話としては、至極単純な話である。


だが、この「右手」と「左手」を、「自分」と「他人」に置き換えてみるとどうだろう。

俄然、意味が深~くなってくる。

この世に生れ落ちている魂は、それぞれ程度の差はあれ、何らかのメグリ(カルマ)を持っている。

「心の汚れ」、「身魂の曇り」と言い換えてもいいだろう。

その「汚れ」や「曇り」は、時として、自分一人の力では、なかなか磨けないことがある。

パチンコ玉を磨く時、一つ一つを磨くのではなく、沢山の玉を袋の中に入れてガシャガシャやると、

一つずつ磨くよりも早くキレイになるらしい。

つまり、これと同じである。

人と人とが磨き合う仕組み。

人の場合は、どっちか一方だけがキレイなんてことはない。

どっちも少なからず汚れている。つまり、どっちもどっち。

だから、文句などもってのほか。

その出会いに感謝しかない・・・はず。



え? 私ですか? 「そういうお前は汚れてないのか」って? 


そりゃもう、ベットリと・・・(笑)



ウ○チの話だけど、ウンチクが深~い話でした。


・・・お後がよろしいようで。 <(_ _)> オソマツ!

(座布団持ってかないでね。食事中の方、すんまそん)



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『孤高の勇者』

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自分の信念に従い

自分の内なる声を聞き

外の何ものにも左右されず

ただひたすらに自分の道を歩く孤高の勇者よ  

汝こそは神の待ち望んだ人物なり

混沌たる世界の中にあって

自分を見失った人々の中で

ひときわ輝く宝石とは汝なり

孤独のうちに自分を見つめ続け

真実を求め続けた日々

汝の求めたものは荒野の果てにある

汝が一つの確信を得て

一歩を踏み出したその時から

汝の苦難と栄光の道は始まったのだ

ただ独り荒野に臨む汝の頭上には

あまたの星が祝福の光を投げかける

地平線に向かうその瞳には

ゆるがざる決意が溢れている

もはや引き返すことのできない道に

全人生を賭けて踏み込んだ孤高の勇者よ

汝の勇気は全人類を照らす灯台となる

もはや何人たりとも汝を止める事は出来ない

たとえ志半ばで朽ち果てようと

心の命ずるままに行け

汝の内なる声だけを頼りに進め

前人未到の荒野にひとすじの道をつけよ

新世界を拓く開拓者となれ

この世で最も強き者

それはただ独り立つ者

神に最も近き者

それは内なる声に従う者

ただ独り荒野を目指す孤高の勇者



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「あなたは、何をしに、ここ(地球)へ来たのですか?」


「あなたは、何をしに、ここ(地球)へ来たのですか?」


この質問に答えてみると、自分の使命が明らかになってくるはず。


その答えで、本当にいいのか?


その答えに「ファイナル・アンサー」と、自信を持って言えるのか?


本当に、心底、そう思っているのか?


自分の中から出てきた答えを、どんどん掘り下げていく。


そして、自信を持って「ファイナル・アンサー」と言えるような答えに辿りついたら、それがあなたの使命なのだ。


この作業は自分一人でしなければならない。


誰にも手伝ってもらえない。


そして、「絶対の正解」というものも、ない。


自分の中から出てきた答えが、「自分だけの答え」なのだから。


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おすすめブログ


「おすすめブログ」を、いくつか紹介します。

ブログのタイトルだけじゃ面白くないので、ブログの記事を一部抜粋したものを転載して紹介します。


え? この続きを読みたいって?


「この続きは、インターネットで」(ニヤリ)


・・・って、オイ!ここがインターネットなんだよ!(ちゃん、ちゃん♪)

気を取り直して、と(汗)

それでは紹介します。まずは、コレだあぁぁぁぁぁぁ~(←意味なく熱い奴)


『このフミは人類史上初、神の智を人間というフィルターを通して語った「真理」であるぞ。すべてのすべての問題を解結する決定版であるぞ。「日月神示」「火水伝文」というのもこの方からのフミであるぞ。「神示」を難しいといって避けている者が多いから、神のルールを体験した人間を通して改めてフミを出したのであるぞ。』

続きはこちら(面白かったら、応援クリックをよろしく)


お次は、コレ。

そなたらは、平気で人を裁いているが、それは神がもっとも嫌うことであるぞ。神は一度たりとも裁いたことはないのぞ。そなたらが勝手に、罪や裁きを創ったのであるぞ。神が許していたからできたことであることにお気づきあれよ。人の行動や言葉は神の想念が形になったものであるぞ。人の言葉、人の行動、自分の言葉、自分の行動を裁くのは、神を裁くのと同じであるぞ。そなたが裁いている限り、そなたの思い通りにはならんのぞ。そなたが裁けばそなたも裁かれるのぞ。自分が自分を裁くのであるぞ。神を裁いて神のココロになれると思っていなさるのか。神を無きものにしてこの先の天国あると思うなよ。自覚無きとはいえ、いい加減に目を覚まされよ。

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トドメは、コレ。


『超自分』とは、自分を超えた自分 のことです。

『超自分』教育とは、「自分」という存在のすべてを思い出し、本当の自分を取り戻すためのトレーニングのプロセスです。生死時空を超えた『すべてを知っている自分(本当の自分)』と出会って、この世(今生、今回の人生、今の自分の人生)という狭い箱の中も含めて、誰に遠慮することも無く本当の自由を体験できる世界への冒険と言ってもいいでしょう。

 あらゆる人間関係の問題を産み出すメカニズムは同じです。従って、一人ひとりの問題を解決することが、人間の集合が作り出す社会に横たわる問題を解決するための最短距離です。

 このブログのジャンルは「学校・教育」ですが、私が公開するノウハウというのは、決して「教育」だけにとどまるものではなく、すべての問題の解決に応用できる、今までどこにもなかった、「究極の問題解決法」であるともいえるものです。

 現代社会に横たわる問題を解決する第一歩は、自分自身の本当の姿(正体)を知ること、自分という存在の正体を解明することです。自分と自分の対話をとことんまで追及することです。たとえどんなに苦しくても、潜在意識の底の底まで、何一つ隠すことなく、すべてのすべてを正直に見つめることです。それを避けては、本当の意味での問題解決はありえません。

続きはこちら(面白かったら、応援クリックをよろしく)



さて・・・これでようやく、このブログを立ち上げた「真の目的」を果たしました。

最初に立ち上げた時はランキング4位まで上がりましたが、

その時点では、まだ、こうして紹介できる段階ではありませんでした。

長い沈黙を経て、再び舞い上がった、いま、この時。

「もう、そろそろ良かろう」と判断し、紹介させていただきました。

私(ジンガ)は霊的には鈍感体質なので、

チャネリングのように「頭の中に別の声が聞こえる」ということはありません。

むしろ、普通すぎるぐらい、普通の人間です。

しかし、そんな私でも「何か、神のお役に立ちたい」という思いは、昔も今も変わりません。

その思いの表れが、このブログの執筆です。

毎日のように、多くの方々から応援していただけるのは、とてもありがたく、嬉しく思います。
(いつも応援クリックありがとうございます)

あらためて、皆様に心より感謝を捧げます。

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メグリ解消のチェックリスト


メグリ解消のチェックリストを紹介します。それは「五つの杖」というものです。

<以下、転載>
『五つの杖』とは、これをすべて満たすことを心掛けていくと、執着を手放すことやカルマの解消が無理なく無駄なくできるというチェックリストでもあります。すべてを満たし続けるだけで、神があなたに必要なものをすべて必要なだけ与えてくれます(ここでは神という言葉の定義付けを自由にしてください。真偽○×の判断をするのではなく、素直に受け入れてみることが大切です)。前代未聞のプロセスを「安全」に歩いていくための「つえ」です。

 この五つの杖をすべて満たせば、あなたの体験は喜びだけになります。あなたが本当にしたいことをやっているときは、今この瞬間にいます。①喜びとも感じない、②取った取られたのゲームをしていない③偶然だとは考えない④過去も未来も時間も病気も死も考えない⑤被害者意識はない、ということでちゃんと苦しみは感じていません。

 あなたが喜びを創りだしたいならば、「人の責任ゲーム」は一切できなくなります。だからといって喜びを創りだそうとして何かすると五つの杖の④を外していることになりますから、「できない」という悩みができます。あなたが人の責任ゲームをしていても周りの人がしていないならば、あなただけが苦しむことになります。

 この杖をよくわかっていれば、「人の責任ゲーム」が苦しみやトラブルを創りだしている原因であることも分かりますし、苦しみを感じているのは自分の責任であることも分かります。つまり、結局、すべて自分の責任であり、人の責任ゲームというのは手前勝手なお互いに迷惑なゲームであることがハッキリ分かります。今までの混乱の原因がすべて自分にあったことが分かります。もう、責任追及は一切できなくなるのではないでしょうか?


①神は喜びしか渡していない 
神は喜びしか渡していません。すべての人間が喜びのうちに楽しんで遊べるようにすべての仕組みを創っているのです。本来は、苦があるのはおかしいことなのです。苦はあなたが素直に行動しないとき、あなたの我欲で動いているとき、この五つの杖のどれかを外しているとき、あなたを喜びへと戻すためのお知らせなのです。あなたがそれを人や神のせいにすることでますます苦を創りだすことになるのです。「喜びしか与えていないなんて嘘だ。苦しみがあるじゃないか」あなたがそう言っているから喜びがないのです。よって、ちゃんとこれを証明していることになります。

②自分のものは何もない 
元素から地球まで、すべて神が創ったものです。肉体もお金も石油も電気も子供も車もすべて神の持ち物を借りて合成したり、組み立てたりしたものなのです。取った取られた、やったやられた、俺のものだから、というゲームは何をしているのか分かりますか?俺のものも国のものも皆のものもありません。そういう風に決めているだけです。すべて神のものです。本来は商売というものは必要なかったのです。それは今までのゲームの中で創りだされたシステムです。天地を売ったり買ったりすることはできません。ですから、ちゃんとトラブルや混乱が起きています。喜びはありませんよね。「もうかった」というあなただけの喜びではだめなのです。所有物や所有権というものはないのです。

 「俺の家族を殺された」と言っているから自分が苦しくなるのです。その家族が死んだのはあなたとは別のその人自身の理由なのです。その人の生き方の結果なのです。あなたも損害賠償させようとしている相手も関係ありません。

 失う恐れや死の恐れがあるのは「自分のもの」がある証拠です。なくなったものは、あなたに必要がないものです。あなたが必要なものはなくなっても出てきます。あなたには今この瞬間、必要なものはすべてあります。今この瞬間にです。あなたの持っているものはあなたが遊ぶための道具です。執着していると苦しくなります。今持っているものを必要な時に必要なものに交換しながら遊んでいけばよいのです。あなたには必要なものしかありません。必要なものをもっていて他のものを手に入れようとするから、手に入らないのです。自分だけ助かろうとするのも自分のものを守ろうとするところからきています。今回は、助かろうとすることが助からなくすることになります。この杖に従って、今までの執着を手放して今この瞬簡にいれば、結果として、「助かる」のです。

③偶然はない 
すべては必然です。すべては与えられているのです。あなたが「偶然」というときは、自分が計画していない、思っても見ないことが起きたときです。「偶然」がなぜ起きるかと言われれば、そういう力が働いているとしか言えないのです。その力の正体が「神」なのです。苦しみも喜びも事故も病気もすべてあなたのために、あなたに教えるために与えられているのです。あなたが五つの杖を外していること、あなたの中に○×、損得、好き嫌いの執着や所有欲、決めつけがあること、を気づくための鏡を提供してくれているのです。奇跡も偶然も不思議も一切ありません。あなたが疑っているから、あなたが外を見ているから、不思議という悩み?を創りだしているのです。運や罰や占いや予言に振り回されることになります。起きていることを批判したり、人の責任にすることで苦しみやトラブルを創りだしています。よって、あなたは喜びは感じていません。

 起きていることはすべて起きるべくして起きているのです。あなたが過去にやったことにこだわっていると、過去に起きたことに執着していると苦しみを感じることになります。あなたは過去の「辛いこと」を見ている時だけ辛くなるのです。楽しいことをやっている時に「辛いこと」は出てきません。あなたの体験は消えていませんから、結局は、あなたが意識するかしないかであなたの感情が決まるのです。楽になるのも苦しむのも、すべてあなたの内側の問題です。

④中今に生かされている 
病気も死もあなたの自由にはなりません。あなたが寝ているとき、どこに行っているのですか?あなたが朝、目を覚ますというのは、生かされている人間にとっては奇跡なのです。あなたは生きていません。だから、分からないことだらけなのです。あなたが生きていると思っているから、病気や死やケガや事故や心配だらけなのです。思いどうりに計画通りにしようと思っているから「できない」という悩みが出てくるのです。あなたがこれを外しているから、あなたはちゃんと苦しみを感じています。

 計画や反省や期待や希望や後悔や未来の不安、この先何が起きるかを気にするのも、何かを創ろうとするのも、すべてこれを外しています。あなたはただ、今この瞬間にいればよいのです。あなたがしたことというのはありません。すべてあなたを通して起きていることです。恥かしいことも秘密も必要ありません。あなたは生かされているのですからあなたのしたことは神のしたことです。人のやったことを批判することは、神を批判しているのと同じであり、この④を外していますから、トラブルやストレスやイライラという苦を感じることになるのです。

⑤被害者はだれもいない 
あなたが取られたもの、殴られたあなたの肉体は、だれのものなのでしょうか?自分のものだ、というなら②を外しています。損害賠償や裁判というのは本来必要ないものなのです。傷つけられた、怒られたというのは、「私が傷ついた」「あいつは怒っている」とあなたが思っているだけです。自分の感情は自分以外のものが創っている、自分の外側に○×があると思っているところから、「~された」という表現が出てくるのです。

 自分の内にあるものが外に見えているだけです。あなたの内が中立ならば、被害者はなくなります。あなたを傷つけているのは、あなたです。あなたが傷つけられたと言って人を傷つけたのもあなたです。不慮の事故というのはありません。偶然はないのです。特に、後がない今回は、あなたが過去世までも含めてすべてのカルマを解消する出来事が起きているのです。身に覚えのないときでも、自分がいつかどこかでやったことの清算をしているのだと思って、お知らせに感謝し、お詫びをし、今この瞬間に意識を戻すことです。いつまでも被害者をやっていると、新たなカルマをつくりだし、それを解消するプロセスを増やすことになります。すべてのカルマの解消を完了しないと次の地球には行けません。人の責任ゲームや被害者ゲームをやっていても構いませんが、後で大火傷をすることになります。あなたがあなたの加害者です。傷つけられた被害者がいるとすれば、神のみです。

 あなたが被害者をやっている時は、ちゃんと苦しい状況を体験します。あなたの事故や喧嘩やケガやその他諸々のトラブルはあなたがこの五つのどれかを否定したり、外したりしているお知らせなのです。「やった、やられた」と現象面にこだわっていると苦しみを感じることになります。あなたがあなたの加害者なのです。喧嘩や殺人というのはそういう人同士を出会わせて、お互いに気づかせようとしているのです。そこでまたまた人の責任ゲームをやっていると、被害者になっていますから、苦しみを感じることになるのです。
<転載終わり>

少し長いですが、この文章は別のブログから一部転載したものです。
詳しくは、こちら→新しい時代を生きる人間学

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邪気は蛇気を呼ぶ

「邪気」は「蛇気」を呼ぶ。

「邪気」は「蛇気」に通じ、また「邪鬼」にも通じる。

ここでいう「邪気」は、「身欲」や「分かつ知」。

「龍」と「蛇」で言えば、「蛇」に属するのが「邪気」。


邪気を持っていると、魂の底に封印された「邪鬼」が活動を開始し、

「魔釣りの経綸」が働く。正確には「仕組みが作動する」というべきか。

世にある「悪の御用」の者が見つけやすいように追跡装置の信号が点灯し、点滅を開始する。

「ここに居るぞ」とばかり、同じ「邪気」を持つ者を呼び寄せる。


この場合、「引き寄せの法則」が働き、「悪」は「悪」と「引き寄せあう」。

砂場に磁石をかざして砂鉄を集めるように、「邪気」を持つものは「悪の磁石」に引き寄せられる。

そして「悪」には「悪を裁く悪」も含まれる。

他人の悪を裁く「外道の善人」もまた、「悪の磁石」に引き寄せられる。

神が許さぬものは形にならず。形あるのは神が許した証拠。

原因なければ結果なし。神が許さねば形にならず。

神が許して形にしたものを裁くは、神を裁くのと同じ。

そして最後に「悪」は一網打尽となる。



「悪をもって悪を祓う」仕組み。



心が澄み切り、邪気が無ければ、追跡装置は点灯せず、

したがって「魔釣りの経綸」が発動することはない。

「悪の磁石」に引き寄せられることもない。

いま、この時期、世界中で「悪の御用」が大活躍している。

まずは心を澄み切らせるのが第一。



心を澄み切らせるのは「感謝」。



「感謝」と「身欲」は両立しない。

「身欲」あれば「感謝」なし。「感謝」あれば「身欲」なし。


「身欲」は「足る」ことを知らない。

「まだまだ、もっともっと・・・」と、欲望には際限がない。

必要ないものまで欲しがり、奪う「ケモノの心」



「感謝」は「足るを知る心」

「必要なものが、必要な時に、必要なだけ」渡される。

それで何一つ文句や不足を言わず、ただただ「感謝」。



心の鏡は「感謝」で磨く。

磨くべきは自分の心。

貫くべきは自分の真コト。


『分かつ知』の型示しとて二本の角持つ邪鬼申すもあるぞ。
いずれ元つマコトの神真釣りと並びあるは適わぬ事由、
首を切られ底底に封印されありたのじゃ。
汝の底底に封印されありたと申すに同じぞ。(「火水伝文」p142)

『蛇の力』を底底に封印せしは、その神力思凝り固まりて
《快欲》に囚われたる身欲悪、現れい出たれば
『魔釣りの経論』のハタラキ現れい出る様、
仕組みありての事でござりたのじゃ。(「火水伝文」p143)



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メグリを減らす仕組み


さて、メグリの精算からは逃れられないのですが、実は「メグリを減らす仕組み」があります。

メグリに関する『減免措置』または『救済措置』とでも言うべきものです。

メグリは、ただ単に「積み重なる」ものではなく、改心して生き方を改めることによって

「減らす」ことも可能であるということです。

ここまでの仕組みを構えた上で、神は私達の改心を「今か今か」と待っています。

親(神)に、どれほどのご苦労をかけているか・・・そして、どれほど深い親心か・・・


「火水伝文(ヒミツツタエフミ)」p249 より

悪き響きが訪れるは【メグル情け】のお仕組みにござるから、
ご自身以外のせいになされてはならぬ申して居るのじゃ。

そは悪き響きに対しイサカウは、ちいともメグリが真釣ろえぬばかりか、
新たな悪きメグル響きを産むばかりでござるからぞ。

メグル悪き響きには、真釣る響きで和し添わねば鳴らんのじゃ。

汝等が少しでも三真釣り持ち行きて、真釣るマコトのご苦労をして居りて下されば、

死ぬところを大怪我で済ませる事も、
大怪我のところを小怪我で済ませる事も、
小怪我のところをかすり傷ぐらいで済ませる事も、
全く何事も無く済ませる事も、出くる申して居るのじゃ。

保身の身欲を捨てなされて、スミキリあれば見え来るマコトにござるよ。

汝は汝の身魂を磨き出して下されよ。

外した真釣りをタテナオス事が、和する響きを出す事に鳴るのざぞ。

メグリも和するが出くるのじゃ。

真釣り和する響き、汝ご自身が出さらいで、誰が鳴するのぞ。

されば、今今は心鍛えスミキリある様なさりて下されよ。

心スミキリあればある程、真釣る響き出くる様に鳴りて来るのじゃ。

汝ご自身が真釣る【足場】と鳴り成されたら、ご立派でござるぞ。

周りに真釣り和す響きを与うが出くるのじゃ。

皆々に居るだけで喜ばれる者と鳴るぞ。



「悪き響き」とは、いわゆる「苦」や「不都合」などですが、これは元をただせば「身から出た錆」ですので、自分以外のせいにしてはいけないということです。

そして「悪き響き」に対して“諍いの心”を持つことは、さらに「悪き響き」を引き寄せることになるので注意が必要です。

「悪き響き」に、同じように「悪き響き」で対抗していては、悪循環からの脱却は出来ません。

「悪き響き」を憎まず、恨まず、誰のせいにもせず、戦いの心で抵抗するのでもなく、ただただ、「真釣る響き」で対処することが大事です。

「火水伝文」では、自身が「真釣るマコトのご苦労」をしていれば、メグリ(カルマ)によって訪れるはずの大難を小難に、小難を無難にすることも可能であるとしています。

ここで言う「和する」というのは、例えば中和剤を用いて毒薬を無毒にするようなものです。

最終的には、「周りに真釣り和す響きを与える」ことが出来、「皆々に居るだけで喜ばれる者」になるということです。

その為には、何をおいても「心を澄み切らせること」です。

(2010.12.17掲載分を再掲しています)
メグル響きを真釣る響きで和す

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メッセージの解釈は自由に

トンビの羽根を拾った。

正確には「鳶(トビ)」のことだが、俺の地方ではトンビと呼ぶ。

長さを測ったら37cm。

この大きさの羽根を拾うのは、これで二回目だ。

これでちょうど、左右の羽根が揃った。(わーい!)

とりあえず息子に見せて自慢しよう。(その程度かよ!)

以前、神社の拝殿前で拾った羽根は、羽根ペンにした。

さて、今度はどうしようか。

とりあえず、家のどこかに飾っておこう。

という訳で、今、玄関に飾ってある。



・・・って、おい。

それって、なんか意味があるんじゃねーのか?



うーーーーーーーーーん


意味ってのはねー


自分で付けりゃいいんだよ。


付けたかったらつける。


そんでもって、何かに気づいたら、それがその時に必要なメッセだから。


無理矢理こじつけても仕方ねーし・・・と、最近は思う。

「おおっ!このデカイ羽根は、『大きく羽ばたけ』という意味か」とか、

「37cm・・・3+7=10=神。神の羽根か?」とか、

色んな解釈が成り立つ。

でもって、「その人が解釈できる程度の(レベルの)メッセージ」が来るようになってる。

だから小学生に、いきなり大人向けの「謎掛け」が現れることはない。

「その人相応に取れる」ということ。

今はただ、その羽根の大きさに感嘆しつつ眺めるのみ。

ピーーーーーーーーーーーーヒョロロ~~~~~♪



「なんか最近、ブログの文体が統一してないんだけど・・・」
「どっちでもいいじゃん。気分次第で使い分ければ」
「どっちがホントのジンガなんだ?」
「どっちも俺だよん」
「すんごくキャクターが変わったんだな(汗)」
「いいのいいいの、気にしない気にしない」

「それでいーのか?」
「それでいーのだ!」


追伸

「目に映るすべてのものはメッセージ」です。しかも、あなただけの。

それらを自分なりに解釈したら、それがあなたにとっての「正解」なのです。
他の人が違う解釈をしたら、それはその人にとっての「正解」です。
「君、それは違うよ。というのはね、実は・・・」なんて他人のウンチクは無視してOK(笑)。

メッセージをどう解釈しようと、それが自分にとって真実だと思うなら、それが自分の真実です。

「メッセージの解釈は自由に」・・・これをお忘れなく(^^)b

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それでも閻魔様に文句を言いますか?

「完全に個人のメグリがゼロ」の人でも、家や国、人類のメグリを「引き受ける」場合がある。
無実の罪で磔刑にされたイエスなどは諸説あるが「人類のメグリを引き受けた」事例といえるかも知れない。

メグリの精算方法にも色々ある。

金銭で支払う場合・・・労働の対価として得た金銭をもって支払う。
個人の労働力というエネルギーをお金に交換して、それでもって支払うということである。
お金を「ポイント」と考えると理解しやすい。10,000ポイントを得るのに、労働の中身(肉体労働か頭脳労働か)により、かかる時間の違いはある。
金銭で支払う場合は、詐欺、悪徳商法、霊感商法、偽霊能者に騙されるなどのケースも含まれる。
結果として法外な金銭を騙し取られるが、結局のところ、金銭で支払うということである。
また、事業で失敗したり、売上不振による赤字などもある。
その他のケースもあるだろうが、基本的には「金銭で支払う」ということ。

肉体で支払う場合・・・肉体的苦痛により支払う。
病気や怪我など、肉体的に痛みや苦しみを受けて支払うというもの。病気の原因も様々。
原因不明の病気、生活習慣による病気、あるいは柱の角に頭をぶつけたり、
他人から危害を受けたり、無実の罪で留置所に入れられるなど、様々なケースがある。
「実際に肉体的苦痛により支払う」ということ。

精神的苦痛で支払う場合・・・精神的な悩みや苦痛で支払う。精神疾患や個人的な各種の悩み等で心を痛めたり苦しんだりするなど、苦痛の原因は人それぞれだが、結局は「精神的苦痛で支払う」ということ。

現実的には、メグリの精算は「金銭、肉体、精神的苦痛」など様々な要因が複雑に絡み合い、支払いのタイミングもまちまちであるが、どのような形であれ、精算されるエネルギーの量は「メグリ相応」であり、過不足はない。

結局のところ、「原因と結果の法則」により、身に覚えがあろうと無かろうと、メグリの精算は行われる。
そして、ありがたいことに、それは「その都度、受け止められるだけの重さ」でしか渡されない。
ちなみに、メグリ精算の最大のものが、肉体的な「死」である。

つまり基本的には「分割払い」である。
しかし、この分割払いの期間というのは「転生」も含めた長期にわたるものであり、
現世で上手く逃げおおせたとしても(完全犯罪、証拠不十分による不起訴など)、
次の世で、それ相応のメグリが渡されることになる。

しかし、この「分割払い」も、いよいよ最終期限が迫っている。
借金の取り立てが厳しさを増しているのだ。
もはや「待ったなし」の状況である。

だから、この期に及んでメグリの精算から逃げる(苦を避ける)というのは「魂の自己破産」を意味する。

例えば・・・偽霊能者を見分ける方法を完璧に学んだとしても、不慮の事故にあったり、
病気や怪我をしたり、地震や家事や風水害など、違う形でメグリの精算が行われる。
あれこれと智恵をつけて金銭的な損をしないように注意しても、
別の形でメグリの精算が行われるから結局は同じことである。

だから、極論を言えば(実は極論でも何でもないが、普通の人には極論に聞こえるかもしれない)、
「メグリが来たら黙って引き受けるべし」ということであり、
「被害を受ける時は被害を受けるべし」ということである。
それでプラス・マスナス・ゼロになる。

メグリは苦や損や不都合などであるが、人間心で頭を使って苦や損を逃げたり避けたりしても、メグリは減るどころか、加算されるばかりである。

その時その時でメグリを引き受けないと、「柱の角に頭をぶつける」ぐらいですむところが、「階段から転げ落ちる」ということになる。小難が大難になってしまう。
借金には利子がつくが、メグリにはつかない。
そのかわり返済(メグリ精算)が滞ると、元本(メグリ)が加算されていく。
だから「被害を受ける時は被害を受けるべし」ということになる。

このことを良寛さんは、
「災難に会う時節には、災難に遭うが良く候。死ぬる時節には、死ぬが良く候。
これが、災難から逃れる一番の妙法にて候。」
と表現している。

もし、メグリの精算について、一言でも文句を言うとしたら、それは「閻魔様に文句を言う」ことになる。

「あいつは、あんな悪いことをしたのに、のうのうと暮らしているではないか」と。
しかし、心配せずとも、あなたの知らないところで、いつかどこかで、キッチリとツケを支払わされている。

聖書の神は「復讐するは我にあり」と語っている。
これは、「復讐は私(神)がするから、あなたは報復などをしてはならない」と戒めているのであり、
個人の報復によるメグリの連鎖を断ち切るということである。

メグリの精算は誰がしてくれるのかというと、それは閻魔様である。
閻魔様というのは、丑寅の金神であり、国祖・国常立大神である。


「それでも閻魔様に文句を言いますか?」


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メグリの清算(個人、一家、国、人類)

メグリには「個人」のものだけでなく、「一家」や「国」、そして「人類」のメグリも含まれる。

この場合、自分に原因がなくてもメグリを背負うことになる。

そしてそれは、生まれてくる前に、すでに魂のレベルでは了解済みであろうと思われる。

だから「自分以外のメグリまで引き受けるのは嫌だ」などと駄々をこねても仕方がない。

いま、このブログを読んでいる人で、「清算すべきメグリがゼロ」という人は、ほとんどいないと思った方が良い。

急ぐべきは「メグリの清算」であり、それは同時に「身魂磨き」にもつながる。

以下、本人以外のメグリについて「日月神示」より引用。

その人間にメグリなくしてもメグリ負うことあるぞ。
人類のメグリは人類の誰かが負わねばならん。
一家のメグリは一家の誰かが負わねばならん。果たさねばならん。
善人が苦しむ一つの原因であるぞ。
神の大きな恵みであり、試練であるぞ。

祓いせよと申してあることは、何もかも借銭なしにすることぞ。
借銭なしとは、めぐりなくすることぞ。昔からの借銭は誰にもあるのざぞ。
それ払ってしまうまでは誰によらず苦しむのぞ。
人ばかりでないぞ。家ばかりでないぞ。国には国の借銭あるぞ。
世界中借銭なし(にするのは)何にしても大望であるぞ。
今度の世界中の戦は借銭なし(にするため)ぞ。
世界の大祓いぞ。(ひふみ神示・地つ巻第8条)


<日月神示を読んでみたい方へ>
書店に並んでいる「日月神示」の紹介本は、著者の主観が多く、解釈が限定されているため、あまりお薦めできません。

ハッキリ言って「食べ物の改善」だけでは、「身魂磨き」は不十分だと思った方がいいです。
食べ物の改善で「身」はキレイになっても、果たして「魂」がキレイになるでしょうか。

日月神示は、できれば原典に当たられるのが一番ですが、内容が膨大なため取っ付きにくいと思います。
ですので、私は 『太神の布告―神も人も禊ぞ 』(TEN BOOKS) をお薦めします。
項目ごとに内容が分類して抜粋されているので、初心者でも読みやすくなっています。
この本一冊だけでも、かなりの理解が進むと思います。
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<追記(1/17)>
「太神の布告」の本は現在、「絶版重版未定」であり、amazon.comではコレクター商品となっており、15,000円と高額のようですが、amazon.com以外のところでは、中古があるようです。

セブンネットショッピングでは、1,427円で購入ができるようです。


<参考>過去記事→「メグリ(カルマ)について

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被害者はいない

「原因と結果の法則」がある。

「原因」なくして「結果」なし。これは大前提。

一般に「被害者」という場合、それが人為的なものであれば「加害者」が存在する。
「加害者」は法律により有罪無罪が判断され、量刑が決められる。
また、場合によっては「加害者」が逃げおおせることもある。

これに対して人為的でない「被害」を「天災」または「災害」などと呼ぶ。
場合によっては国家が救済措置を取る。

「被害者」とは、何らかの「原因」により、「結果」として「被害を被った人」を意味する。

ここで、よく言われるのが「何も悪いことはしていないのに」という言葉である。

本当にそうだろうか。

「何も悪いことはしていないのに被害を被った」と言うのは、
「原因がないのに結果が生じた」と言うのと同じである。
そうなると、大前提が崩れてしまう。

確かに「目に見える形」では、「何も悪いことはしていない」かもしれない。
しかし、「心の中」はどうだろうか。
どこかで「不調和」をバラ撒いたり、天法に違反することは無かったか。

では、不自由な体を持って生まれてくる赤ちゃんはどうなるのか。
これは「前世」も視野に入れなければ、辻褄が合わなくなる。

そもそも、何らかの「被害」を被るということは、それなりの「原因」がある。

「原因」なくして「結果」なし。
「目に見える形」だけを見れば、確かに「被害者」である。

しかし、何の「原因」もなければ、「被害」もありえない。

魂の誕生からこんにちに至るまでの間、「いつか、どこかで」、「不調和」をバラ撒いたり、
天法に違反することがあったからこそ、「いま、ここで」、「被害」を被るのである。

「奪った」だけ、「奪われ」て、プラス・マイナス・ゼロ。
「やった」から、「やられ」て、プラス・マイナス・ゼロ。
「壊した」から、「壊され」て、プラス・マイナス・ゼロ。
「打った」から、「打たれ」て、プラス・マイナス・ゼロ。・・・etc

これを「メグリの清算」という。
その分量は多すぎず少なすぎずドンピシャリ。一分の狂いもない。

本当の「加害者」は自分自身なのであり、真の意味で「被害者」というものは存在しない。

人間の目には「可哀想」に見えても、神の目から見れば「メグリの清算」である。
「いま、ここ」の形だけで判断するから、「原因不明」なだけである。

では、「メグリの清算」は、誰がさせてくれるのか。

神である。丑寅の金神であり、祓戸の大神である。

そして、「メグリ清算」のための「苦」を渡すのが、「悪の御用」である。
大変なお役であり、忌み嫌われる辛いお役である。「愛」が無ければ務まらない。

では、そんな辛いお役である「悪の御用」の方々によって渡された「苦」にどう対処するか。

「こんなものいらない。自分は何も悪いことはしていない。なぜ自分だけこんな目に合うのか」

・・・などと逃げたり文句を言ったり逆ギレするか。

それとも、「私がいつかどこかで天法に違反したのですね。申し訳ございません。ありがたく頂戴いたします」

・・・と、お詫びを申し上げて感謝して受け止めるのか。


訪れた「苦」から逃げれば、「メグリ清算」のツケはたまるばかり。

被害者はいない。誰のせいでもない。全ては自分が撒いた種である。

だから、訪れた「苦」には、「お詫び」と「感謝」しかない。


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オオカミからの伝言(裁く心を捨てなされ)

オオカミからの伝言を伝えます。(「オオカミ≠狼」「オオカミ=大神」)

これからタテカエ最後まで、悪き響き益々日々高まりて、
小さきイサカイから大きイサカイのカタチをとりて、
様々鳴るメグリ汝等のもとに訪れ来る由、
取り違えなさりて危うき事に陥らぬ様、
危うき心の持ち様をご注意致し置くぞ。

汝が支えある者なれば、マコト貫き通すが汝の努めにてござるが、
マコトを通す申すは、他人を責めむ事にてはあらざるぞ。
汝が支えられある者にてあればなおの事じゃ。
他人を落としめ、汝ご自身も悪に染まるからじゃ。
好い加減に卒業なさるが善いぞ。

善も悪も大神の御子なるは、お伝え致したであろうがな。
善にも悪にも等しく機会を与うるが、神のやり方にござるぞ。
自らが三真釣る行にて、他人を喜ばす響きと鳴り成り鳴られて下されよ。

そが前に言の葉持ちて他人のマコト無きをなじりて居りては、
汝ご自身が辛く醜く、鳴り鳴りてしもうだけぞ。

何時までもハラに《我善し》詰めて居らねで、
三真釣り持ち行き喜ぶ響きと変え行きて下されよ。

三真釣る嬉しの響きで、他人を喜ばして差し上ぐるが善いぞ。
それでも《我善し》で汝が他人を裁く申すのなれば、
この方におイノチ差し出されてなさるが善いぞ。

なれど、汝が差し出せしおイノチ、元々汝のものにて無きは存知居ろうな。
真釣りてあれば裁きも無く。
真釣りて無くればマコト無き由、裁くは適わぬ事にてあろうがな。

マコトそのもので無き者、いかで他人を裁く申すのぞ。
神無き振る舞いにてあるが解からぬか。

汝等他人を裁く思いによりて
自ら神より遠く離れ居るを知らんのじゃ。

そがザマにありて、我一人清しなぞ思い居りては、
この方ご守護しやりたくあるも、側にも寄れん程の、
醜くき臭き響き鳴りて居る由、どうする事も出来はせんぞ。

裁く心を捨てなされ。
そは神の一番嫌う事にてあるのぞ。
今今は、神から離れるが一等危ういから申して居るのじゃ。

汝のマコトは他人にマコトを通さする事にてはござらぬぞ。
汝がマコトを貫き通す事にてあるよ。一緒にしてはならぬ事ぞ。

汝の周りの不調和、不都合申すものは、何時の時か、
汝自らが外した真釣りのお知らせじゃ、くどう申し置き居ろうが。

(中略)

汝等お一人お一人が、他人のマコトにちょっかいを出さずとも、
全人類お一人も余す事無くピタリピタリと、
自らに外した真釣りを取り戻す【メグリ】と鳴りて居るのであるから、
不公平ざ等と悪の教えに何時までも囚われて居らねで、
他人の事はこの方に任し置かれよ。

他人を責めねで和するハタラキあるではないか。
最期の最後に至りて迄、醜き心育むで無いぞ。


「火水伝文」p245~247

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渡る世間は「渡し合い」

人と人とが出会う時、何かを交換しています。

苦を交換するか、楽を交換するか、憎しみを交換するか、愛を交換するか・・・
何を交換するかは、人それぞれ。

互いに手の内の見えないカードを出し合うゲームとも言えます。
先に何を出すかで、相手の出すものも変わって来ます。

人と人との出会いは、実は様々なものの「渡し合い」でもあります。
人と人との出会いは「鏡」の「渡し合い・見せ合い」でもあります。
相手の姿の中にこそ、自分の中の隠れた姿が投影されます。

あなたは相手に何を見ますか?
それが何であろうと、どんなに否定しようと、
あなた自身もまた、気付くと気付かないとにかかわらず、
少なからず、その「何か」を持っている事を忘れないで下さい。

「渡し合い」は「私・会い」です。つまり自分自身との出会いです。

先に愛を渡しても、憎しみが返って来ることがあるかも知れません。
そんな時は「憎しみを渡されても、なお愛を出し続けられるか」という「お試し」なのかも知れません。

自分に足りないものを相手が「渡し」てくれ、
相手に足りないものを自分が「渡す」。
まことに、人と人との出会いは「渡し合い」です。

でも、人と出会う時、「何を渡そうか、何か渡すものがあるだろうか」と心配する必要はありません。

神は完璧なタイミングで「渡し合い」の場に導いてくれます。
「今度、誰かに合ったら、これを渡そう」と身構えていても、なかなか思い通りに行かない事が多いものです。

何も持たなくてもいいのです。手ぶらで歩いて下さい。

あなたのちょっとした一言や、何気ない仕草など、
あなたが全身から発するものを見て、何かを感じる人があるかも知れません。

そんな時は、何かを求めている人の前に、あなたが知らず知らずのうちに引き寄せられているのです。
何も考えずに、ただ歩いているだけで、あなたに必要な出会いがあります。

いくら渡しても無くならないもの、それが愛です。
渡せば渡すほど愛の響きが木霊のように周囲に響いて行きます。
愛は調和を生み、調和はまた愛を生みます。

その時の「渡し合い」は「渡し・愛」となります。

さて、あなたは何を「渡し」ますか?

日本から世界へ、光を送ろう!
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自分を愛するということ

自分で自分を許して下さい
自分で自分を認めて下さい
自分で自分を受け入れて下さい
自分で自分を統合して下さい

嫌な自分、未熟な自分、傲慢な自分、謙虚な自分・・・
それがどんな自分であっても、すべてが自分です

私は、すべての人は両極端の性質をすべて持っていると考えています
自分の中に聖人もいれば悪人もいる・・・
それぞれの人によって、どの部分が最も多く出てくるかによって
個性が決まると思います

どうか、どんな自分であっても、
自分で自分を切り離したりしないで下さい
すべての人格は自分の中にあるのですから・・・

許す、認める、受け入れる・・・それが自己愛の始まりです

自己愛は悪ではありません

すべての元をたどれば、自己愛に行き着きます

他人は自分の鏡・・・

自分で自分を愛せないということは

自分の鏡である他人をも愛せないということ

自分の中に許せない部分や嫌な部分があると

それを投影したような他人に出会うと拒否反応をします

まず、自己愛

自分で自分をしっかりと愛して下さい

自己愛はやがて、自分以外への愛へとふくらんでいきます

そしてまた、自己愛に返ってきます

なぜなら、すべては神であり
すべては喜びであり
すべては自分であり
すべては自分の内にあるのだから

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ウサギとカメ

カメはぼつぼつと道を歩きはじめた。行き先は既に決めてある。
どのくらい遠いのか、どのくらい時間がかかるのかは分からない。
それでもカメはぼつぼつと歩いていた。
すると、後からウサギが同じ道を歩きはじめた。
ウサギは器用にスイスイと進み、ついにはカメを追い越してしまった。

カメは焦った。

ウサギと比較した途端、今までの自分の遅い歩みが気になりはじめた。
カメは懸命に足をバタつかせ、息を切らしながらウサギに追いつこうとした。
しかし、ウサギは尚も軽やかにぐんぐん先を進んでいく。
もはやカメは息も絶え絶えになっていた。

その時、神様が現れて言った。

「お前は何をしているのか。お前はカメであろう。
カメならばカメらしく歩めば良いのだ。
カメにはカメにしか見えないものがあり、カメにしか体験できないものがあるのだ。
自分がカメであることを恥じる必要はない。
ただ歩みの速さだけを比べて何になる。
お前は先のことを考えず、ただ一歩一歩、自分のペースで歩めばよいのだ。
足の速さだけを比べれば、お前より速い者はいくらでもいる。
いずれ私の所に辿り着くだろうが、その時には、土産話を沢山聞かせておくれ。
私はお前だけの土産話を楽しみにしているのだよ」

カメはハッとして我に帰った。

「そうだ。私は私のペースで歩けばいいのだ。
自分がカメであることを恥じる必要はないし、足の速さであろうと何であろうと、他と比べる必要はないのだ。
私は私だけの土産話を集めながら、神様の所に歩いていこう」

それからというもの、カメはどんなに追い抜かれても、少しも気にならなくなった。
そしてカメは自分だけの土産話を神様に聞かせてあげた。神様はたいそう喜んだそうな。

昔も今も、世に競争原理などは無い。
他と比較して、少しでも上に行こう、先に行こうと競争したがる者達がいるだけだ。

カメのように遅くとも、気にせず「ゆるり」と歩むべし。


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ニュートラルシンキング(中立的なものの見方)

ポジティブシンキングが流行っています。
でも実は、ポジティブ(積極的・肯定的)もネガティブ(消極的・否定的)も、どちらか一方への偏りです。

ポジティブにもネガティブにも偏らないニュートラルシンキング(中立的なものの見方・考え方)が大事です。

すべての出来事をありのままに見ることです。
そのもの自体に善悪はありません。
善悪を決めつけるのは人間の心です。
その心の元は、一つのものを二つに分ける心です。

今、すべてが「統合」されようとしています。
善も悪も統合です。
二つに分けて物事を認識する時代は終わりつつあります。

太古の昔、人々は「すべては一つ」の認識のもとで暮らしていました。
その時代が終わりを告げ、今「二つに分けて見る」時代を我々は生きています。
それももうすぐ終わります。新世紀は統合の時代です。

「すべては一つ」という認識が当たり前の常識になります。
元は一つのものを二つに分けて見ていたのが今までの時代でした。

元は一つの心なのに、善だ悪だと騒いでいたのです。

元をたどれば「すべては一つ」なのです。

今の人々は善のみを求め、究極的には善のみの社会を理想にしていますが、それは不可能です。
善を求める心の底には悪があります。
何かを悪だと見る心がなければ、悪というのは、(その人にとっては)存在しません。

善でも悪でもなく「全」なのです。

最高と最低があって全であり、善も悪もあって全であり、美も醜もあって全なのです。
物事を見たり考えたりする時に、価値観や先入観でしかものを見られない人が大勢います。
ちっぽけな価値観を捨てて、すべてを中立的に見ることが大事です。

*************************
実はこれ、1999.10/20に書いたものです。
ちょっと引っ張り出して「虫干し」(笑)

でも、今でも当てはまるような気が・・・

日本から世界へ、光を送ろう!
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人は無限の可能性を持つ?

「人は無限の可能性を持つ」

よく聞く言葉だ。

しかし、厳密には違う。騙されてはいけない。



肉の身をまとい、限られた時間と空間の中で、何をどれだけやるか。

人生の早いうちに的を絞りきることができれば、一つのことにトコトン打ち込める。

だから当然、成功の可能性は高くなる。


しかし、それすらも、「前世から持ち越したもの」には適わないこともある。

たとえばモーツァルトのような「天才」には、「現世だけの努力」では適わない。


遺伝、才能、体格、環境など、あらゆる面において、スタートラインは千差万別。

そういう、あらゆるものが制限された中で、自分の持てるものを総動員して全力で取り組んで、やっと、何かが「もの」になるかどうか。


全力疾走を何度もやって、やっと「少しだけ」速く走れるようになる。

全力疾走しないでチンタラ走っても、力は付かない。



「人は無限の可能性を持つ」という言葉は、厳密に言えば以下のようになる。

「ヒトの魂は、無限の可能性を持つ」

これは逆に言えば、肉の身をまとっている限り、やはり「制限された世界」に置かれているということ。


そういう世界に、私達は住んでいる。

だけど、それだからこそ、学ぶべきものも沢山ある。



そして私達は、「肉の身」を持ったまま、「制限のない世界」の住人になろうとしている。

それは・・・半霊半物資の世界。

それぞれが一人で「その時」を迎える。

さて、準備はすすんでいるだろうか・・・


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日本魂(やまとだましい)とは

日本魂(やまとだましい)と申すものは天地の先祖の神の精神と合一(あわ)した心で在るぞよ。至仁至愛(ぜん)の大精神にして、何事にも心を配り行届(ゆきとど)き、凶事に逢うとも、大山(おおやま)の如く微躯(びく)とも致さず、物質欲を断ちて精神は最も安静な心であるぞよ。

 天を相手とし凡人と争はず、天地万有山野海川(てんちばんゆうやまぬのうみかわ)を我(われ)の所有となし、春夏秋冬(はるなつあきふゆ)も昼も夜も暗(やみ)も雨も風も雷も霜も雪も皆我が言霊(ことたま)の自由に為し得る魂であるぞよ。

 如何なる災禍(わざわい)に逢ふも艱苦(かんく)を甞(なめ)るも意に介せず、幸運に向ふも油断せず、生死一如(いちにょ)にして昼夜の往来する如く、世事一切を惟神(かんながら)の大道(おおみち)に任かせ、好みも無く憎(うら)みも為さず、義を重んじて心裏常に安静なる魂が日本魂であるぞよ。

 常に心中長閑(しんちゅうのどか)にして、川水(かわみず)の流るる如く、末に至る程深くなりつつ自然に四海(しかい)に達し、我意(わがい)を起(おこ)さず、才智を頼らず、天の時に応じて神意に随(したが)って天下公共の為に活動し、万難を撓(たゆ)まず屈(くっ)せず、無事にして善を行ふを日本魂と申すぞよ。

(中略)

 誠の日本魂(やまとだましい)のある人民は其意志(そのこころ)平素(つね)に内(うち)にのみ向(むか)ひ、自己(おのれ)の独り知る所を慎み、自己の力量才覚を人に知られん事を求めず、天地神明の道に従ひ交はり、神の代表となりて善言美辞(ぜんげんびし)を用ひ、光風霽月(こうふうさいげつ)の如き人格を具へて自然に世に光輝を放つ身魂であるぞよ。

 心神常に空虚にして一点の私心無ければ、常永(とこしえ)に胸中に神国あり、何事も優れ勝りたる行動を好み、善者を喜びて友となし、劣り汚れたるを憐れみ且つ恵む、富貴を欲せず羨まず、貧賤を厭わず侮らず、只々天下の為に至善を尽くすのみに焦心す、是の至心至情は日本魂の発動であるぞよ。

 天下修斎の大神業に参加するとも、決して慌てず騒がず、身魂常に洋々として大海の如く、天の空しうして鳥の飛ぶに任すが如く、海の広くして魚の踊るに従うが如き不動の神を常に養う、是れが神政成就の神業に奉仕する身魂の行動でなければならぬのであるぞよ。

 凡人の見て善事と為す事にても神の法に照らして悪しき事は是れを為さず、凡人の見て悪と為す事にても神の誠の道に照らして善き事は勇みて之を遂行すべし。天意に従い大業を為さんとするものは、一疋(ぴき)の虫と雖も妄りに之を傷害せず、至仁至愛にして万有を保護し、世の乱に乗じて望を興さぬ至粋至純の精神を保つ、是れが誠の日本魂であるぞよ。

 今度の二度目の天之岩戸開きの御用に立つ身魂は、是れ丈けの身魂の覚悟が無ければ到底終わりまで勤めると云う事は出来んから、毎度筆先で日本魂を磨いて下されと申して知らしてあるぞよ。

『伊都能売神諭』(大正八年二月二十一日 旧正月二十一日)より、一部抜粋


ここで紹介したのは、ほんの一部です。いちいち語句の説明はしません。

原典特有の雰囲気を感じ取って頂ければ幸いです。

原典はこちら(ふりがな付)→ 『伊都能売神諭』(大正八年二月二十一日 旧正月二十一日)

伊都能売神諭(いづのめしんゆ)とは、大本開祖・出口直の昇天(大正7年11月6日)後に、国祖の神が出口王仁三郎の手を通して降した神示のことです。開祖昇天後は王仁三郎が「厳」「瑞」合した「伊都能売」の御魂として活動すると神諭に示されていたため、『伊都能売神諭』と呼ばれます。機関誌『神霊界』第76号(大正7年12月22日発行)の「大本教祖号」から、第97号(大正8年11月1日発行)にかけて掲載・発表されました。(【オニド】王仁三郎ドット・ジェイピーより)

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自分を鍛えるのは自分

自分を鍛えるのは自分。

自分の魂は、自分で磨く。
自分の心は、自分で鍛える。
自分の頭は、自分で鍛える。
自分の体は、自分で鍛える。

誰も、自分の代わりに鍛えてくれたり磨いてくれる訳ではない。

自分を鍛えるのは、あくまで自分。
自分を磨くのも、あくまで自分。

他人に指示をされて動くようなことがあったとしても、最終的に、その指示に従う(同意)するか否かは、自分が決めることになる。

「やらされる」という場合も、同じ。

嫌々ながらでも、「やる」という行為を選択するのは、自分。

どうしても、絶対、死んでも、脅迫されても、何があっても、石にしがみついても「やりたくない」なら、しなければいいだけの話。

こういう場合、他人というのは、自分を鍛える「きっかけ」を作ってくれたということになる。

そういう意味では、「きっかけ」を与えてくれた他人に感謝するしかない。

それがたとえ「脅し」であったとしても、その指示に従った結果、あなたの心や頭や体が鍛えられたなら、感謝しかない。

そして結局のところ、「自分の意思で(自分の選択で)自分を鍛えた」ということになる。

また、好むと好まざるとにかかわらず、「鍛えられるような状況」に置かれることもある。


「スポーツの専属トレーナー」兼「家庭教師」兼「メンタルトレーナー」になってくれるような「他人」は存在しない。

他人が24時間365日、あなたの面倒を見てくれる訳ではないのだ。


しかし、ただ一人、24時間365日、「あなた」とともにいる存在がある。

それは「もう一人のあなた」である。

「もう一人のあなた」は、おせっかいなことに、あなたの「想念」までチェックしてくれる(笑)

というより、「もう一人のあなた」からは、どこにも逃げられない。

あなたが何を「思い」、どんな心境で「語り」、どんな動機で「行動」するか。

あなたの「本心」は、「もう一人のあなた」には全部お見通しである。

他人の目は誤魔化せても、「もう一人のあなた」の目は、絶対に誤魔化せない。




体も、頭も、心も・・・鍛えなければ、使い物にならなくなる。



事情により体を鍛えられない場合は、頭や心が鍛えられる。

たとえば、体が不自由な人の精神力は、並大抵のものではないように。



だから、「なまってるな」と思ったら、自分で自分を鍛えるしかない。



何をどうやって鍛えるかは、人それぞれのレベルに応じて、やり方があるはずである。

それは、自分で考えるべきものであり、誰も手取り足取り教えてはくれない。


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日本刀は、徹底的に打たれ、叩かれて鍛えられる。

あなたの「刀」を鍛える刀鍛冶は、あなた以外にはいない。

いま、この時節・・・「なまくら刀」では使い物にならない。

あなたの「刀」は、錆び付いていないだろうか。

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原点回帰

「原点回帰」

いつでも、何度でも「原点回帰」。


原点=原典=原天=元天=源「・」


ハラに入ったと思う、その慢心を戒める。

何度でも、くどいほど、しつこいくらい・・・原点回帰。

そこまでして、やっと、本当の意味でハラに入るかどうか。


・・・そんな風に思う今日この頃。



道は長い。

しかし、長いようで短い。

でも、短いと思ったら長かったりする。

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新年の祈り

大日月地大神 様(おおひつきくにのおおかみ さま)、守り給へ幸はへ給へ

常のお働き、誠にありがとうございます。

これからも、どうかご守護お導き下さりますよう、お願い申し上げます。

さて、現在、日本、そして世界、さらには宇宙をも含む大きな神仕組みの中で、立て替え建て直しが進んでおります。

地球にとっても宇宙にとっても、また神々様方にとりましても、大変重要な時期にある訳でございますが、まだまだ、日本の国に住む人々が、真コトの姿に立ち戻っているとは言えず、曇り多き身魂ばかりでございます。
誠に申し訳ございません。

しかしながら、今、この時代に日本に生れ落ちることの重要さと責任は、いかばかりかということを考えました時、一刻も早く気付きの輪が広がり、ついには百一匹目の猿現象によって、日本人の集合意識がガラリと変わることを願いつつ、日々歩んでおります。

神々様方におかれましては、気づきの遅い私達を、日々、どれほどのご苦労の中でお導き頂いているかと思うと、申し訳ない気持ちで一杯でございます。

これまでも、数限りなく、様々な場面で気付きを促し、言葉を与え、真理を知らせ、出会うべき人に出会わせ、体験すべきことを体験させていただき、誠にお世話になるばかりでございました。

どうかどうか、私達が、一人でも多く、一日でも早く、真コトの姿に立ち戻り、晴れて日の本の民として、世界の親として、恥ずかしくないほどの魂の輝きを現すことができますよう、今後とも、より一層のご守護お導きを賜りますよう、お願い申し上げます。

そしてまた、私達自身も、真コトの神の真コトの民として、それぞれの地におきまして、生まれ持った天命を果たしていくことが出来ますよう、努力して参る所存でございます。

この世において、それぞれの生まれた地において、それぞれの天命を果たすこと・・・それが、それこそが、現世に生まれる時の、皆様方との約束ごとでもござりますれば、未だ気付いていなくとも、知らず知らず導かれ、鍛えられ、身魂の掃除を進めていただいておりますことに深く感謝申し上げます。

日の本の国に住まいする、私達日の本の民が、それぞれの地において天命を果たし、真コトの魂の輝きと、真コトの響きを取り戻していくことができますように、そしてまた、真コトの魂の輝きを増し、真コトの響きを広げ、さらなる大きな響きと和しまして、この日の本の国が世界に先駆けて建て直しのお役目を全うすることができますよう、ご指導を賜りたいと存じます。

日の本の国が、そして日の本の民が、真コトの神の国として、地球の雛型としての使命を全うすることができますよう、神界より、ますますのご指導をいただきますれば、これほど心強いことはございません。

どうかどうか、よろしくお願い申し上げます。

この度の立て替え建て直しにおいて、日の本の国が真っ先に払い清められると伺っておりますが、この、世界の大洗濯、地球の大洗濯、さらには宇宙全体の払い清めによるミロクの世の顕現という大きな峠を、一人でも多くの人々が乗り越えることができますよう、ご守護お導きを賜りたく、重ね重ねお願い申し上げます。

メグリ多きこの身ではございますが、ミロク開闢のお役に立ちたいと思う気持ちに嘘偽りはございません。

日の本に生れ落ちた責任を自覚し、曇り多き身魂を鍛えに鍛え、磨きに磨き、練りに練って、天晴れ神の御前に胸を張って立つことができるような身魂となりて、神との約束を果たす所存でございます。

天も地も、神々様方もご照覧あれ!

ありがとうございます。



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ブログの紹介
真の日本とは何か。それは武士道でも仏教でも儒教でもなく、そして神道でもない。 それらを遥かに超える大昔、太古の神話の時代の日本。 「日の元」「火の元」「日の元つ国」「神気出ずる国」 「世界の雛型」「世界の親」・・・それが本来の日本。一人でも多くの日本人が真コトの「神響き(カムヒビキ)」を鳴り成らせることで、最後には日本人の意識が「100匹目の猿現象」でガラリと変わり、「真の日本」が現れる。 日本が変われば世界が変わる。 日本が変わらなければ世界も変わらない。 ユダヤの民は「立て替え」の御役。スメラの民は「立て直し」の御役。ユダヤの民は、これまでキッチリと御役を果たしてきた。これからが本当の日本の出番となる。
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