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申し訳ない・・・!!

ニュージーランドの地震のニュースをみて、心の中で「申し訳ない」とつぶやいた。

ニュージーランドの皆さんに対して、申し訳ないと思う。


いや・・・もっと前から、世界で起こる自然災害に対して、「申し訳ない」とつぶやいて来た。



それは何故か・・・



世界の雛型である日本が、しっかりしてないから。

日本人が、しっかりしてないから。




世界における大難を小難にするために、世界で最も影響力のある国は、どこだ?

その日一日の食べ物に不自由せず、生きてて良かったという実感を持つことなく、

生命の危険にさらされず、銃声や悲鳴や人々の泣き叫ぶ声を聞くことも無く、

生活の上では、ほとんど不自由せず、それどころか膨大な量の食料を食べ残し、

発展途上国から資源をもらい、苦労を押し付け、毎日、のほほんと暮らしてる国は、どこだ?



人類の集合意識のレベルを引き上げるのに、最も適した国は、どこだ?

最も重要かつ大きな役割を果たす国は、どこだ?



日本だろ!  

世界中を見渡しても、そんな国は、日本しかない。



日本とは、つまり日本人であり、それは即ち、自分だ。

この記事を書いている「私」であり、読んでいる「あなた」だ。


自分がしっかりしてないから、世界における大難が小難にならない。


いや・・・既に「大難」は、最低限度の「小難」にしてもらっている。

それでもまだ、これだけの「大きな難」が、次から次へと起こる。

まだまだ起こるだろう。

まだまだ多くの人々が、痛みと苦しみと悲しみを味わうだろう。



しかし、起こるべき大難を、少しでも小さくすることは、可能だ。

日本人一人一人が、意識レベルを引き上げることで、それが世界に影響を及ぼし、大難が小難になる。


「そんなバカなことがあるか」と笑いたい奴は、笑えばいい。

俺は大真面目に、そう考えている。



宮沢賢治は、「世界が平和にならないと個人は幸せになれない」と語った。その通りだと思う。

そして、そのために最も大きなチカラを発揮することが「可能」であり、

そうすべき「役割」を担っているのが、日本である。


世界における大難を小難にするのは、我々の役目。


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壮絶な母の愛

母親というのは、時に壮絶なまでの愛を表現する。

我が子を思う母親の愛は「母性愛」であり、それは自分の母親、祖母、曾祖母と、

順にさかのぼっていくと、最後には伊邪那美命にまでたどり着く。

自らの死と引き換えに我が子を産み落とした母の愛。

そこには大いなる神仕組みがあった訳だが、その時の様子や、

伊邪那美命の切実な気持ちに思いを馳せていると、不覚にも涙ぐんでしまった。


伊邪那美命こそ、「母性愛の原点」である。


そして、「母性愛」を考える時、どうしても外せないのが「地球」である。

自らは傷つき、ボロボロになってまで、大地の上の私達に精一杯の愛を注いでくれている。


ただ単に、神社のご祭神としての「伊邪那美様」や、宇宙に浮かぶ「地球」をイメージしても、

「母性愛」の実感が沸いて来ない。

実感が沸いてこなければ、「お詫び」と「感謝」に真心がこもらない。

それでは、あまりにも申し訳ない。

いったい、どれだけの愛を注がれているのか、どれだけ世話になっているのか・・・


私は、自らが泣きながら書いた文章でなければ、他人の心を打つことなどできないと思っている。

実際、「歓喜の花道」(記事はこちら)は、家に家族がいない時に、泣きながら書いた。
(その時のことを鮮明に思い出しながら再体験した)

だから、今度、時間のある時に書こうと思う。


さて、母性愛のエピソードというのは、古今東西、枚挙に暇が無い。
ただし、それら全てを紹介するのは、このブログの本意ではない。
そこで、ふと見つけた話を紹介して、「母の愛」についてのプロローグとしたい。

<以下、引用>

作家・西村滋さんの少年期のお話より

少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。
殊に母親の溺愛は近所の物笑いの種になるほどだった。

その母親が姿を消した。
庭に造られた粗末な離れ、そこに籠もったのである。
結核を病んだのだった。
近寄るなと周りは注意したが、
母恋しさに少年は離れに近寄らずにはいられなかった。

しかし、母親は一変していた。
少年を見ると、ありったけの罵声を浴びせた。
コップ、お盆、手鏡と手当たり次第に投げつける。
青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。
少年は次第に母を憎悪するようになった。
悲しみに彩られた憎悪だった。

少年六歳の誕生日に母は逝った。
「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに、
少年は全身で逆らい、決して棺の中を見ようとはしなかった。

父は再婚した。少年は新しい母に愛されようとした。
だが、だめだった。
父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。

少年が九歳になって程なく、父が亡くなった。
やはり結核だった。

その頃から少年の家出が始まる。
公園やお寺が寝場所だった。
公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともある。
そのたびに警察に保護された。
何度目かの家出の時、
義母は父が残したものを処分し、家をたたんで蒸発した。

それからの少年は施設を転々とするようになる。

十三歳の時だった。少年は知多半島の少年院にいた。
もういっぱしの「札付き」だった。
ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。
泣いて少年に棺の中の母を見せようとした
あの家政婦のオバサンだった。
オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。
死の床で母はオバサンに言ったのだ。

「私は間もなく死にます。あの子は母親を失うのです。
 幼い子が母と別れて悲しむのは、
 優しく愛された記憶があるからです。

 憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。
 あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、
 死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。
 そのほうがあの子は幸せになるのです」


少年は話を聞いて呆然とした。
自分はこんなに愛されていたのか。
涙がとめどなくこぼれ落ちた。
札付きが立ち直ったのはそれからである。
作家・西村滋さんの少年期の話である。


『致知』2004年11月号
特集「喜怒哀楽の人間学」の前書きより


引用元は、こちら→ 致知出版社「喜びの声」ブログ



私は、この話を読んで泣いてしまった。

周囲から笑われるほどに溺愛していた息子を、鬼のようになって突き放すというのが、どれほど辛いことか!

これほどの「母性愛」を体現してくれた西村氏の母に感謝したい。



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心静かに、凛として歩め

世界情勢は常に変化し、世界における日本の立場も変化しつつある。

北方領土にロシアと中国が手を伸ばしつつあり、尖閣諸島では中国と意見が対立し、
竹島問題では韓国とも対立している。

また、中国の資本家が日本の土地を買いまくっているらしい。
この動きは週刊誌にも掲載されたので、既にご存知の方も多いと思う。
これは土地の売買取引を隠れ蓑にした「領土の飛び地的確保」と言えなくもない。

これら諸外国に共通するのは、「日本を狙っている」ということ。
その根底には、「弱腰の日本など怖くない」という意識がある。

実は、そうした動きを予見するかのような文章が「火水伝文」にもある。

「火水伝文」p2
しっかと世情見ていて下されよ。 現界の荒らぶる現象いよいよ混乱狂気となりておろうが。
正邪、背徳、驕奢の膿、様々なる形なさして世に噴出させておろうが。これ予兆ぞ。
既に世界はウラにて一つになりたぞよ。
真中を過ぎし不測の時、世界の悪勢一挙に入り来たり全土を一つと七つに分け占めて修羅の地獄と化さしめん。
これ、こたび始めの神仕組なり。これ日本の事ぞ、マコトぞ。
仕組ありて、真先に日本払い清めせなならんからぞ。
国、土台から破壊され。ケガレし権力潰えしも外なるケガレ逆巻きて内なるケガレ払うのぞ。
私有財産壊滅し、衣食住にも窮迫し、国民同士の戦ある。
人と獣との分かれ目ぞ。ケガレしものの消ゆるまで、三歳苦難の道行きぞ。
こは神仕組み神ハタラキなれど、汝等人民様の招きしことなるぞ。
汝の欲心甘やかし来たりたであろうが。しただけのことは拒めぬぞ。
神恨むでないぞ。しかあれ、人民様の苦しき死。残り苦しむ様。神、望みてないぞ。


このフミが平成4年頃に降ろされたということを考えると、
フミの内容と昨今の日本を取り巻く情勢が妙にリンクしてくるような気がするのは、私だけだろうか。

ただし、将来の出来事に関する高次の存在からのメッセージというのは、
「いまのまま進めば、こうなる可能性もある」ということで、「警告」としてとらえることも出来る訳で、
必ずしも最悪のシナリオが実現するとは限らない。

このような情報がある一方で、先のことは心配ないという情報もある。

たとえるなら、天気予報で「雨」と「晴れ」という相反する予報が同時に存在するといった感じだろうか。
大筋では「晴れ」かも知れないが、個人的には「雨」の場合もあるだろうし、その逆もあり得る。
いずれしても、「傘」の用意をしておけば、どう転んでも心配ないということになる。

「傘の用意」とは、つまり「身魂磨き」である。

これから先は、人類の集合意識がどうなるかで、シュミレーションの結果が変わってくる。
これについて最も重要な立場にあり、責任もあるのが、世界の雛型であるヒノモトの民。
ヒノモトの民が、全体として、どれだけ「意識レベル」を上げることができるか、
どれだけ個人の「身魂磨き」が進むかで、将来のシュミレーションが変わってくるし、その影響は世界に及ぶ。

ヒノモトの民の責任は、自覚のあるなしにかかわらず、重いが上にも重い。

現時点では、この先どうなるか、誰も確実な予測は出来ない。
国家レベルのことは、個人でどうこうできることではない。
しかし、国家を動かすのは、個人の力でもある。

それぞれの住む地域において、一つでも多くの「光の柱」を立てること。
「光の柱」が多ければ多いほど、その地域や、ひいては国全体の意識レベルの向上に貢献する。


世界の行く末を憂うなら、日本の将来を案ずるなら、そして自分自身のためにも、

一人一人がヒノモトの民としての自覚を持ち、自らの身魂磨きに努めること。

それが、それこそが、地道で遠回りのように見えるけれど、
最悪のシナリオを回避するために我々が出来ることではないだろうか。

恐怖や不安にかられて騒ぎ回ったり、自暴自棄になったりすることなく、
心を鎮め、覚悟を決め、あるいは心づもりをした上で、
時々刻々と変化する世界情勢を冷静に見据えることが大事である。

決してケモノには成り下がらず、最後までヒトとして振る舞うということである。

それには、苦労に負けない、くじけない、あきらめない、強い心が必要である。

何があっても、どうなろうと、心静かに、凛として歩むべし。


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自分の闇と向き合う

「光と闇の最終決戦」は、神界はもとより、各自の「心の中」、そして「外の世界」でも行われている。

ケガレ逆巻く世の動きは、今後ますます加速していくから、外の動きばかり見ていては、
その動きに巻き込まれてしまいかねない。

外を探せば探すほど、ますます訳が分からなくなってしまう。

だからこそ、心を鎮め、自らの内面と向き合うことが大事になる。

暴風雨の中でも、シンと静まり返り、冷静でいられるだけのハラが必要になる。



人間の「闇の部分」に必要以上に意識をフォーカスするのではなく、闇は闇として、その存在を認める。

そして「闇」を認め、許し、受け入れること。

「闇」を「悪」と言い換えても良い。

結局のところ、認めたくなくても「闇」は存在するから、認めざるを得ない。

絶対に許したくなくても、「負の連鎖」を断ち切るためには、許さざるを得ない。

そして、「闇」は自らの内にあり、外にあるものではないから、
そもそも取り除いたり排除したりすることは出来ないのだということを悟れば、
いやがおうでも受け入れざるを得ない。

心の中では様々な葛藤があるだろうが、それを乗り越えて「光と闇」を統合していくのが、
いまを生きる我々の使命であるから、やはり、自分の中の「闇」と向き合うことは避けて通れない。

自分の闇と向き合えば、他人の闇を裁くことは出来なくなるはずである。
逆に言えば、安易に他人を裁くのは「自分の闇と向き合っていない」ということになる。
いたらない自分を知れば、他人を裁くということが、いかに傲慢でおこがましいかに気付くと思う。
そもそも、他人を裁く資格など、自分にはないのだ。


自分の心を、よくよく見つめれば、次から次にドロドロしたものが出てくる。
忘れていたような怒りが出てきたり、憎しみや恨みが出てくることもあるかも知れない。

あるいは、恐れや不安、嫉妬、ねたみ、劣等感、他人に投げかけた酷い言葉や冷酷な態度、
許せなかった人、騙した人、裏切った人、見捨てた人、離れていった人、そうした人々に対する思い、
自分の言葉や態度で傷ついた人の思い、罪の意識、懺悔、後悔、愛されなかった悔しさ寂しさ・・・
挙げていけばキリがないかも知れないが、それらは自分の心の中に封印していたものである。

しかし、それらにひるむことなく、苦しくてもしっかりと向き合い、静かに見つめる。

辛くて嫌な思い出を、心の中で再体験することもあるだろう。
恥ずかしい、情けない、自責の念、自己批判などの思いが沸いてくるかもしれない。


そうした色んなものが、確かに自分の心の中にあることを素直に認める。
そして、そんな自分を許し、受け入れ、愛する。
場合によっては、誰かに対して、心からのお詫びと感謝の言葉を捧げる。
「ごめんなさい、ありがとう」と、心を込めて、心の中で相手に伝える。

そして自分に対しても、自分の「真ん中」に対しても、同じように語りかける。

お詫びと感謝をすべき相手は、いくらでも居ることに気付くはずである。
いまとなっては、もう会えない人もいるだろう。
それでも、自分なりの真心を届ける。うわべだけでなく、心を込めて。

「こんな奴は許せない」と思っていると、ドンビシャリの「こんな奴」が目の前に現れてくる。
しかし、その思いを、心の中で思い直し(思いを直し)、心からのお詫びと感謝を捧げる。
すると、その相手が目の前から消えてしまう。
私の経験では、「許せない」と思っていた相手との接点がなくなり、顔を見ることさえなくなってしまった。
あるいは、私の気に触っていた相手の言動が、いつの間にか無くなってしまったこともある。


そうやって、自分の心を掘り返し、一つ一つ、未解決のものを解決し、決着を付けていく。

心の闇に閉じ込めていたものを日の光にさらすことで、それを終わらせる。

色んな出会いや出来事や体験の意味を、神の視点で見つめ直し、思い直し、お詫びと感謝を捧げる。

「思い直す」 = 「思い」を「直す」(直す=正す=神の視点で見直す)

そうした作業を、一人でやっていく。


自分の闇と向き合うには、もっと違うやり方があるのかも知れないが、今のところ、私はこういうやり方しか知らない。


他人の「闇」を暴いたり、裁いたり責めたりするのではなく、まず自分の「闇」と、しっかり向き合うこと。

それが、「悪を抱き参らせる」ための第一歩となる。

かくいう私自身、まだまだ、多くの闇を抱えている。それはよく分かっている。
まだまだ甘い。掘り下げ方が中途半端、見つめたつもりで再度フタをしたり・・・
だからこそ、自分に言い聞かせる意味も含めて、いま、この記事を書いている。

ヒノモトの民は、これからが本当の出番であり、その真価が問われる時である。
ヒノモトの民として生まれてきた意味を、その使命を、いま一度、心に刻んでおかねばなるまい。


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ブログを書くということ

ブログを書くということは、自分との対話でもある。

自らの心の内面から湧き出てくる、ある種の「想い」を文字にするのは、簡単なようで、なかなか難しい。

人と人とのコミュニケーションにおいては、言葉よりも顔の表情や身振り手振りなどの「非言語」が占めるウェイトの方が高い。

言葉によるコミュニケーションを「バーバルコミュニケーション(言語的コミュニケーション)」といい、言葉によらないコミュニケーションを「ノンバーバルコミュニケーション(非言語的コミュニケーション)」というらしい。
同じ言葉であっても、それを語る人の「表情」や「身振り」、「声の調子」や「響き」、「イントネーション」、さらには、「誰が語るか」によっても、受け取る方の「受け止め方」は違ってくる。

実のところ、「非言語」の部分がないと「微妙なニュアンス」が伝わらない場合が多い。
文字情報ばかりのブログでは、やはり情報の伝わり方に限界がある。それは重々、承知している。
しかし、誰かに何かを伝えたい、表現したいという思いが、時に強く自分を突き動かす。

ブログの記事を書く場合、熱に浮かされたように書き始め、一気に書き上げることもある。
一気に書き上げるような時は、自分の中に「火」がついている時である。
文章にも自然と熱がこもり、時には表現が激しくなったりもする。
そういう時は、あまり見直さず、書いた勢いで「えいやっ!」と記事をアップする。

普段は慎重に文章を練り、見直し、段落ごと入れ替えたり、行間を開けたり縮めたりして推敲する。
ある単語を強調するため、あるいは他の言葉と区別して際立たせるため、私の場合、よく「 」を使う。
記事をアップした後で、「もっと上手く表現できたのではないか」「もう少し詳しく説明しないと分からないのではないか」などと考えたりする。

そうやって、ブログの記事を一つ書くのに、時には1時間以上かける場合も少なくない。

それは何のためか。

できるだけ正確に、こちらの意図するものを読み手に伝え、読み手の「取り違い」が無いようにするためである。
つまり、「どう読んでも、誰が読んでも、この文章は、こういう意味だ」というところまで突き詰める。
私の文章に「句読点」が多いのも、そのためであるが、突き詰めた「つもり」になっている場合も多々あると思う。

ブログでも何でも、文章で他人に何か伝えたりする場合、
書き手の心が燃えていなければ、読み手に「熱」は伝わらない。
自分が真っ赤に燃えていなければ、他人の心に火をつけることなどできない。


さて、これだけ偉そうなことを書いておきながら、振りかえって自分のブログはどうかというと・・・

「まだまだじゃのう」(笑)



単に情報を得るためなら、書店やインターネットで事足りる。
様々な情報は日々増え続け、とどまるところを知らない。
そして多くの情報は、事件、事故、有名人の個人的なゴタゴタ、政治家の不正など、ネガティブなものが圧倒的に多い。
テレビの視聴率が取れそうな話題には、必要以上に多くの時間を割いて放送する。

人間の「闇」の部分を、ことさらに強調するかのような情報の流し方には、作為すら感じる。

だから、どこかで情報を遮断することも必要である。

そのために・・・

新聞は見出しだけ読んで、悲惨な事件などの詳しい解説は読まない。感情移入をしない。
ワイドショーで何度も取り上げる話題は、適当に流すか、チャンネルを変える。
週刊誌は、心ある人が書いたコラムなら読むが、ゴシップの詳細までは読まない。
他人の悪口、陰口、噂話、批判、人物評の話題には入らない。

・・・私は、こういう風に心がけている。(「つもり」だけかも知れないが)


こんな私のブログでも、毎日、多くの方々が「応援クリック」をしてくれたり、
「拍手コメント」を入れてくれたりする。

それらが、どれだけ私のチカラになっているか、とても言葉では説明できない。

誠にありがたいと思う。何度でも、改めて、深く・・・感謝します。


これから先、色んなことが待ち受けていると思うが、どうか最後まで、自分で自分をあきらめることなく、

闇の中に光る一点の光を目指して進んでいって欲しい。当然、私も、そのつもりでいる。



闇の中の一点の光・・・その先にある「光の国」へ・・・

そして、時が来れば、沢山の方々と、手に手を取り合い、抱き合い、踊りながら、

共に喜びを分かち合いたい。


・・・いや、「喜びを分かち合いたい」ではない。

「喜びを分かち合う」だ。そのように決意し、宣言する(きっぱり!)。

言葉としては、ほんの少しの違いではあるが、結果は大きく違ってくる。

言葉の使い方には気をつけよう。


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『 慟 哭 』

『 慟 哭 』

膝をつき、肩を震わせ、両の拳を固く握り締め

滴り落ちる涙をぬぐおうともせず慟哭する者よ

一体何が汝の魂を突き動かし、心を揺さぶったというのか

声を振り絞り、時に咳き込むほどに激しく慟哭する者よ

泣きたければ思う存分泣くがいい

叫びたければ遠慮なく叫ぶがいい

その為にここへ来たのだから

生まれたての赤子のように

自分の気持ちを素直にさらけ出せ

汝の涙の一滴一滴が

汝の心を澄みきらせ

汝の魂の汚れを拭い去るのだ

今はただ慟哭そのものとなって

嵐のように泣くがいい





思いっきり泣いたことがありますか?

赤ん坊のように、誰に遠慮するでもなく、思う存分、

心の中のものを全て吐き出すほど、激しく泣いたことがありますか?



大きな声を出して激しく泣くことを「慟哭」といいます。

我慢しても我慢しきれない時は、思い切って泣いてみると、とてもスッキリします。

そして、泣き終わった後の、何ともいえない清々しさ・・・

涙には、心と魂を浄化する作用があります。

いや、別に無理して泣く必要はありません。

そこまで追い込まれたり思い詰めたりしていなければ、「涙による浄化」なんて、そもそも不要ですから。


・・・私は一度だけあります。


夜明け前・・・というより、「未明」の時間帯。

周囲に人家の無い防波堤の上で、声が枯れるほど泣きました。

泣き始めると、やがて激しい雨が降り始めました。

私の泣き声をかき消してくれるかのように大きな雨音で。

私の姿を隠してくれるかのように激しく。

それはスコールとでもいうべき激しさで、体に当たる雨つぶが痛いほどでした。

でも、泣き止む頃には雨もあがり、夜も明けて朝日が明るく私を照らしてくれました。

心の中が空っぽになり、涼やかな風が通り抜けていくようでした。


はじめに紹介した詩は、その時のことを思い出して、以前、作ったものです。



夜が明ける、ほんの少し前、街全体がブルーに包まれる時間があります。

その時の色を「ミッドナイト・ブルー」と呼ぶそうです。

いまでも、一日の中で一番好きな時間帯です。

今度の週末は、ちょっとだけ早起きして「ミッドナイト・ブルーの街」を見てみませんか?

時間があれば、そのまま「日の出」を見てもいいと思います。


元気になれますよ~(^^)b


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一瞬で別人になる


ある事を、固く強く決意した瞬間、あなたはすでに別人である。

「こんな人間になるのだ!」と強烈に決意した瞬間、あなたはすでにそれまでのあなたではない。

決意する事により、波動が変わり、オーラさえも変化する。

目には見えないが確かにあなたは別人になっている。

心の変化を最も素速く現すのは目である。目の輝きは一瞬で変わる。

決意する以前のあなたも、決意した後のあなたも同じあなただが、内面的にはまるで別人のように変化する。

だが、厳密な意味で別人になることはない。

「それまでとは別人であるかのようなあなた」が出現するのである。

それは魂の奥深く眠っていたあなたである。

「無限の多様性を持つ一つの自己」の中の、ある一つの部分が目を覚ましたのである。

宇宙の真理は変化であり、成長であり、進化する姿そのものである。

変わらないのは「変化し続けること」だけである。

宇宙は一瞬たりとも同じ姿にとどまってはいない。

常に新しく生まれ変わり、変化し続けているのだ。

そしてあなた自身も、変化しつづけながら成長しつつ、進化し続けていく存在なのである。

別人になるのに時間はいらない。

一瞬ですべてが変わる。


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「誠の神がかり」とは、「本心100%」

「心」は「嘘」や「欲心」によって曇ります。

「心」は「感謝」によって清まり、澄み切ります。

「心」が澄み切っていると、「本心」が素直に出てきます。


「本心」が素直に出てくるのは、「心」に嘘がない時。


そして、ヒトの「本心」とは、「神」そのもの。

  
  本 心  = 本 神


「誠の神がかり」とは、「本心100%」。


「本心100%」でないということは、心に「嘘」があるということです。

「嘘」が「本心(本神)」を封印しているということです。

心に「嘘」があれば「本心100%」にはなりません。

「本心」は、心の中の「最も強い思い」とは一致しないことがあります。

「最も強い思い」とは、「最も強い欲望」とも言えます。

「最も強い欲望」で動く時、「欲心100%」になっています。

ヒトではなく、ケモノになっています。


「これが本心かどうか」は、自分自身しか分かりません。

他人は騙せても、自分の嘘は自分が一番よく知っています。



「本心に嘘をつく」ということは、「神を封印する」ということです。


「本心100%」になっている時は、神そのもの。


自分の中の「神」が素直に出てきます。

「本心に素直になる」とは、「神に素直になる」ということです。


「誠の神がかり」とは、何も特別な能力を発揮したり奇跡を起すことではないのです。

「曇りなき心」で、「本心100%」で生きる時、その人は「誠の神がかり」となります。


(2008.3.7掲載分 再掲)

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「喜び」は神の響き


物質も最小単位のレベルになると、質量は測定できなくなるらしい。

そして、すべてが特定の周波数で振動している。

その響きは、まるで何者かが笑っているようだという。

ハハハハハハハハハハ・・・と。

つまり、「喜び」こそが神の響きということになる。

嬉し、楽し、喜び、歓喜弥栄・・・それが神の響き。

その響きに同調できるか否か。

心の中に余計なものを溜め込んだりしていては、カラリと明るい「喜び」の響きは出せない。

ためこむばかりで使わないような余計な知識は、一度、捨て去ることも大事である。



次の世は「子供心の国」。

大人も子供も年寄りも、老若男女を問わず「子供心」を持てるかどうかがカギとなる。

子供というのは無邪気なものである。

誰に対しても「悪気」がないし、「邪気」がない。

ただし、子供だからといって、全ての子供に邪気がない訳ではない。

時には、年寄りの方が、よほど無邪気な場合もある。

だから、性別や年齢は関係ない。

自らの「邪気」を捨てて「無邪気」になること。

邪気を捨てるには、「響き」というか、「周波数」を切り替える必要がある。

高らかに、清らかに、澄み切り、明るく、楽しく、喜びに満ち溢れた心。

そうなると、自分の周波数は、今よりもグンと高くなり、神の響きに近くなる。



何をどれだけ「知っているか」(知識)ではなく、

何がどれだけ「できるか」(技術や能力)でもなく、

心がどれだけ「キレイ」になったか。

その部分を神は見ている。


書店の「精神世界」のコーナーにある本を全て読破しても、

ランキング上位のブログを毎日読み込んでも、

どんな技術や能力(霊能力も含む)を開発しても、

高次の存在や低級霊とチャネリングが出来ても、

祝詞や経文や祈りを丸暗記しても、

有名な神社でお祓いを受けても、

セミナーに参加しても、ヒーリングを受けても、

ブログを毎日書いても、本を出版しても、

ボランティアに精を出しても、社会貢献をしても、

テレビやラジオに出演しても、

心がケモノのままでは、何も意味がない。


何を知っても、何をやっても、どんな能力を身に付けても、心が磨けていなければ意味がない。

次の世に入るのに(行くのに)、筆記試験や実技試験は無い。

心がどれだけキレイになったか、魂がどれだけ輝いているか、それが最も大事。



心を磨くのは『感謝』である。

感謝と身欲は同居できないから、感謝の響きを出していれば、不平不満は入り込む余地がない。

あるいは、「足るを知る」ということ。そのためには余計なものは欲しがらないこと。

金や地位や名誉や財産など、この世のものに執着しないこと。

そのためには、心も生活も、「断捨離」が必要になる。


これから先は、感謝こそが「魂の命綱」となる。

いつも心を磨いてピカピカにして、『感謝』と『喜び』で心を満タンにすること。


全ての人の魂の底には「喜神(キジン)」が住んでいる。

しかし、「神の響き」から離れると、「喜神」は「鬼神」となり、あなたに「苦」を渡す。

「神の響き」から離れれば離れるほど、苦しさが増す仕組み。

神から離れて行けば行くほど、行き詰まり、苦しくなる。

「行き詰まり」は「息詰まり」。

「その道は違うぞ」と教えてくれる、ありがたい「お知らせ」である。

行き詰まって苦しんで気付く仕組み。



本心 = 本神


外を探す必要はない。必要な答えは、あなたの内にある。

「何か違うな」とか、「なんとなく違う気がする」とか、「違和感がある」とか、「居心地が悪い」とか、

本心(神)のセンサーは、いつもあなたに教えてくれている。


だから・・・


本心(神)の命ずるままに、本心(神)が喜ぶように、歩むべし。


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わが道をゆく志士

ペリー来航以来、「明治維新」の動きが始まる訳だが、同時に多くの「志士」が登場した。

彼等の多くは家庭を捨て、藩を捨て、我が身の幸せや命まで捨てて、誰に頼まれた訳でもないのに国事に奔走した。

「このままでは日本はつぶれる」「列強の植民地になる」「弱腰の幕府は倒すべし」「外国を打ち払え」など、志士達は互いに国のゆく末を深く憂い、天下国家を論じて飽きることがなかった。
しかし、多くの「志士」は、いわゆる「攘夷熱」に浮かされて「攘夷、攘夷」とやたらに騒ぐばかりで、本当に「実」を結ぶような働きをしている者は少なかった。

そんな中、「実」になるようなものを身につけるべく、一人黙々と「我が道」をゆく男がいた。

坂本龍馬である。彼は土佐の仲間と、結果的にたもとを分かつことを選択し、
勝海舟のもとで操船を学び、後年、新たな仲間とともに海援隊を結成した。

一見、遠回りで地道な道を歩んできた龍馬達が、後年、「天下が彼等を必要とするような人材」になっていったという不思議さに興味が尽きない。


振り返ってみると、今、「次元転換」「アセンション」「身魂の掃除」などなど、毎日のように多くの人々の意見が交わされ、情報交換がされている。

参加者はそれぞれの立場や宗旨や体験などから意見や感想をのべつつ情報を交換している。

これはこれで重要だと思うし、幕末の当時には無かった素晴らしい事だ。本当に便利だと思う。その動きを否定はしない。

ただ、ふと思うのは、今、自分が「攘夷、攘夷」と口だけで騒ぎ回っているばかりの志士のようになってはいないかという点だ。

私見では、「百一匹目の猿現象」の理論で、一部の人達の意識や波動が、ある一定レベルの数(割合?)に達すると、そこから先は一気に全体に伝播していくものと思っている。

まず雛型である日本から、そして日本から世界へと、さらには地球から宇宙へと、影響が及んでいくのではないかと考えている。

そう考えてみると、本当に「自分の為、世の為、人の為、世界人類の為、宇宙の為、神の為」に、今の自分にできる事は、「身魂の掃除を終えること」に尽きる。

というか、それしか出来ない。とても他人の掃除を手伝う余裕はない。

そう考えると、「掃除も終わらん奴が、エラそうに何をゴチャゴチャ言うとるんや」という事になるかも知れない。
これは自分自身に対する気持でもある。

そうしてみると、やはり一日も早く、「神の喜ぶような自分」「神の手がかからなくなる自分(自立した自分)」
「神の手伝いができるような自分」になる事が、今の時代に生まれて来た私達の最大の親孝行であり、使命であると思う。
(そんな事は、わざわざ言わんでも、みんな分かっとるねん)

今、自問するのは、自分自身が、幕末の頃「攘夷熱」に浮かされて「ただ騒ぎ回っているだけの志士」なのか、周囲に影響されずに「黙々と我が道をゆく志士」のいずれのタイプに属しているかという事だ。

しかし、我が身の経歴を考えると、やはり、どちらかというと「攘夷熱に浮かされた」タイプであるように思う。

いまで言えば「アセンション熱」ということになるだろうか。

恐らく・・・日本、いや世界中には、掲示板にも参加せず、組織や団体にも所属せず、ブログも書かず読まず、本も多読せず、ネットにすら接続せずとも、日々、黙々と身魂の掃除に専念している方も大勢いると思う。

実は、そうした人達の方が、実質的に重要かつ大きな働きをしているように思う。
そして、そういう人達は、普段、我々の目には触れないが、確かに存在する。
(ネットでの宣伝活動、啓蒙活動も大事だと思うけれど・・・)

「自分は今、本当に「実」のある日々を送っているだろうか」
「日々、掃除は着実に進んでいるだろうか」
(などという事も、いちいち考えないほどに黙々とやっているだろうか)
 
・・・などと、ふと、自問してみた。(冷や汗)  


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三千世界にとどろく響き


新燃岳の爆発的噴火による「空振」は、予想以上の広がりを見せて遠くまで響き渡った。

「空振」が起こった時の映像を覚えているだろうか。

衝撃波が「波紋」のように山肌や空に伝わり、広がっていった。


「振動」=「神動」


元つ大神の「響き」は、あの「空振」のように、たった一発でグレンとひっくり返す。

四方八方から攻め込まれて取り囲まれ、あともう少しで山頂まで征服されてしまうという、

ギリギリの土壇場、もう後がない土俵際。

「もうダメだ」とみんなが思う、その時。

その九分九厘のところで、ドカンと一発!

三千世界に、元つ大神の「神動」が響き渡る。

三千世界にとどろく響き。

その絶対的な力に逆らえる者などありはしない。

全てをグレンとひっくり返し、一気にカタがつく。



オセロにたとえれば・・・

「最初の一手」は「黒」。しかしそれは「神仕組み」で隠された。

世界は何も知らず、せっせと歴史の中で「白」を敷き詰めていった。

もう一歩で「白」の勝ちというところで、日本が「最後の一手」を打つ。

「最後の一手」は「黒」。

すると、隠されていた「最初の一手」が「黒」なので、

全ての「白」がグレンとひっくり返され、世界は「なんとしたことか!」と腰を抜かす。



ドミノにたとえれば・・・

日本を目掛けて世界中から攻め込んできた「白」。

もう少しで日本も「白」で埋め尽くされてしまうという、その時。

日本に「黒」がデン!と立つ。

すると、今度は日本を起点にして、全方位に「黒」が放射状に広がっていく。

「真っ白」が「真っ黒」に。まさかの大逆転。大ドンデン返し。


最後の最後に、全てを裏返す仕組み。

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九州にオオカミ復活!?

先日から相次ぐ霧島連山での新燃岳の爆発的噴火、それに連動するかのような桜島南岳の噴火、

そして福岡地方の霞(観測によれば、これは黄砂などではないらしい)。

九州には他にも熊本の阿蘇、長崎の雲仙、大分の別府、くじゅう連山と、火山が多い。

まさに「火の国」である。地の底からマグマのエネルギーが突き上げている。


また、鳥インフルエンザも、なぜか九州地方に多く発生している。(鳥=十理、十=神)


全国区のニュースではないが、大分県の豊後大野市では、鹿や猪などの被害を防ぐため、
オオオカミを輸入してはどうかと本気で検討している。
これについては先日、地元の大分合同新聞の朝刊で読み、ぶったまげた。

シカ、イノシシなどによる鳥獣被害が全国的に拡大する中、
国内で絶滅したオオカミを海外から導入して駆除するアイデアが浮かび上がっている。(中略)
ただし、環境省野生生物課は人や家畜、ペットへの被害、感染症などの課題を指摘し、
「獣害対策としてオオカミ導入を具体的に検討する状況にはない」と否定的だ。
新聞の記事はこちら

まぁ、いまのところ、ケモノのオオカミが九州に復活する予定はないようである。

しかし、オオカミ(狼)は復活しなくても、オオカミ(大神)の方は、既に復活している。


「九州 九御座(くみくら) 型示し」

龍の頭が、いよいよ燃えてござる。


神界の動きや世界の動きは色々あるが、それはそれとして、重要なのは、一人一人の「身魂磨き」。

既にメッセージは受け取っているはず。

これからは各自が、それぞれのハラにデッカイ火柱を立てる時である。

(火柱=火の柱、火=霊=日)

日本全国に真コトの火柱が立つ時、日本が変わり、世界が変わる。


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『情けと花の仕組み』

不都合・苦痛・病気・怪我・・・いわゆる「苦」

それらが自分に渡ってきた時、どう反応するか。

文句を言う前に、よく考える必要がある。

「誰が(どのような存在が)」、あなたに「苦」を渡しているのか。

それは神である。

鬼でも悪魔でもなく、神が「苦」を渡してくれているのだ。



では、「なぜ?」、あなたに「苦」が渡されるのか。

それは、あなたが「神の掟」に違反したからである。
不調和をバラ蒔いたから、不調和が戻ってきただけの話。

あなたの元に「苦」を届けてくれた人を、現代社会では「加害者」と呼ぶ。
そして、あなたは「被害者」として文句を言う。

しかし、あなたに「苦」をプレゼントしたのは、実はあなた自身なのである。

「自分が与えたものが自分に返る」仕組みを構えたのは、神である。

元々、調和しかないのが天国の掟である。

その掟に違反したら、本来ならば即消滅するのだが、掟違反の魂を生かして、掟違反を自ら清算できるような仕組みを構えたのである。

掟に違反したら、「苦」を与えて気付かせなければ、最期は消滅してしまうから、情けをかけてくれたのだ。

掟違反には「苦(神の情け)」を与えて気付かせ、改心して掟違反を清算すれば「お陰」を与える。

これを『情けと花の仕組み』という。

最も大きな『情け』の仕組みは、肉体の死であり、
最も大きな『花』の仕組みは、肉体の誕生である。

このような仕組みが作動するように、岩戸を閉めて「ドーム(神の子宮)」を作ったのである。

物質宇宙は、「神の子宮」である。
私たちは、まだ胎児なのだ。

胎児である私達と、親である神とは、「心(ヘソの緒)」でつながっている。

「心」は、神からのメッセージを双方向通信できるトランシーバーとも言える。

何も知らずに、苦を渡す存在を鬼・悪魔と呼んで忌み嫌い、避け続けて封印してきたのが、今までの人類である。

「苦」が現れた時、何一つ文句を言わず、誰のせいにもしないで黙って辛抱することで、清算ができる。

「苦」が現れたら、何らかの掟違反をしている証であるから、黙って辛抱する。この繰り返しである。
だが、永遠には続かない。いつかは清算が済む時が来る。
それまでの道のりは、人それぞれ。

しかし、苦を避けて逃げ続ければ、ツケがたまるばかりなので、実は「苦」から逃れたつもりで、「苦」を増やしていることになる。

最期の最期には、全部まとめて一気に渡される。
それでは、たまったものではない。
だから、それまでに少しでもツケを払う(苦を引き受ける)。

天国への道のりは、甘くは無い。

(2008.2.18掲載分再掲)

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「自分が気に入る自分」であること

「人に気に入られる自分」であるより
「自分が気に入る自分」であること

「人に好かれる自分」より
「自分に好かれる自分」であること

「人に誉められる自分」であるより
「自分に誉められる自分」であること

「人の好みに合わせる自分」であるより
「自分の好みに合わせる自分」であること

「人に愛される自分」であるより
「人を愛する自分」であること

「人の評価を気にする自分」であるより
「自分で自分を評価できる自分」であること

「人に価値を決められる自分」であるより
「自分の価値を自分で決める自分」であること

「自分のことを人に決めてもらう自分」であるより
「自分のことは自分で決める自分」であること

「人に導かれる自分」であるより
「自分に導かれる自分」であること

「人のことを笑う自分」であるより
「自分のことを笑う自分」であること

「人の基準で生きる自分」であるより
「自分の基準で生きる自分」であること



それが一番、自然な生き方

それが一番、自然な在り方




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内は~外、外は~内

ヒトは皆、自分の内面にあるものを、外側に見ている。

つまり、内が外、外が内。


あなたの外に争いが見えるなら、あなたの内にも争いがある。

あなたの外に悪が見えるなら、あなたの内にも悪がある。

内にあるものが何かを気付かせるために、それを外に見せる(体験させる)仕組み。


もっと言えば、内なる闇、内なる穢れを知らせるために、外に闇や穢れを見せてくれているということ。


あなたのズボンのチャックが開いているのを知らせるために、神様は、ズボンのチャックが開いているヒトを、あなたの目の前に連れてくる。

そこでお互いに「ヒトの振り見て我が身に気付く」ことになる。


そこで気付かずに、自分のチャック開放は棚上げして「ズボンのチャックを開けたまま歩くとは、何事だ!」と、せっかくの“お知らせ”を裁いたり責めたり腹を立てたり・・・





なにやってんだか。。。



内は~外、外は~内。


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真ん中からの伝言

いいか、これから先、どんなことがあっても自分で自分を諦めるなよ。
一緒にミロクの世で、嬉し楽しで暮らすって約束したじゃんか。

決して心を折るな。
一度折れても、いや、何度折れても、必ず立て直せ。
辛いこともあるだろう、苦しいこともあるだろう、泣きたくなることもあるだろう、自分で自分が嫌になることもあるだろう。

でもな、それでも俺はあきらめねえぞ。

お前が必ず戻って来ることを信じてるから。

まだまだ闇が続くだろうけど、まだまだ沢山の涙を流すだろうけど、それでも俺は待ってるから。

誰一人、お前の味方がいなくなったように思っても、
誰一人、お前を愛してくれないように思っても、

誰一人、お前を信じてくれないように思っても、

俺だけはお前の味方だから。

俺だけはお前を愛してるから。

俺だけはお前を信じてるから。

だから、自分で自分のことをダメだなんて絶対に考えるな。

改心が遅れた分だけキツくなるけど、「もうダメだ」って何度も心が折れそうになるだろうけど、

それでも絶対に自分で自分をあきらめるんじゃねえぞ。

辛くなったり、苦しくなったりした時は、俺との約束を思いだせ。

「一緒にミロクの世で、嬉し楽しで暮らす」って約束したことを。


「その時」まで、「その時」が来るまで、俺が見守ってるから、必ず見守ってるから、



だから、



自分を信じて、どこまでも自分を信じ続けて進め。


闇の中の一点の光を目指して、ただその一点だけを見つめて進め。


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魂の救命カプセル

今回の「光と闇の最終決戦」、「龍と蛇との戦い」、「神仕組みの総仕上げ」については、神々も総動員で働かれているが、その全貌がどうなのか、具体的に、どの神がどのように働かれるのか、あるいは現在の戦況がどうなのかについては、我々には知るよしもない。


神々については、既に改心すべきは改心され、「お役目」をきっちりと果たしておられる。


いま、ここで最も重要なのは「神々の世界がどうなのか」ではなく、「世界情勢がどうなのか」でもなく、「自分自身がどうなのか」ということ。


最終決戦の結果は既に見えているが、「ミロクの世に生き残る」か、「ケモノと一緒に淘汰される」かは、我々一人一人の問題である。


いま(いままで)の自分が、ヒトとケモノの、どちらの生き方(ものの見方、考え方、言動)をしているか(してきたか)は、いまここで、よくよく考える必要がある。


いままでのゲーム(ケモノのゲーム)が、いつまでも続くというならば、そういう方は、そのまま、いつまでもケモノのゲームにうつつを抜かしていても構わないが、その結果は全て自己責任で受け入れなければならない。

誰もあなたを止めることは出来ないし、あなたを止められるのは、あなたしかいないのだから。


あなたに出来るのは、あなた以外の人や日本や世界や地球や宇宙や神々のことを、あれこれと心配したりすることではなく、あなた自身を「ミロクの世」に連れて行くことである。


チリの落盤事故で活躍した救命カプセル「不死鳥(フェニックス)」が「一人乗り」であったことを思い出して欲しい。


あれは一つの「型示し」である。


ただし、「魂の救命カプセル」の場合、その行先は必ずしも同じとは限らない。


いま、第一に為すべきは、自分自身の「身魂の掃除」であり、これは表現を変えれば「心と魂の浄化」であり、「身魂磨き」であり、「波動を上げる」ということになる。


日月神示にもある通り、磨けていれば、どこに居て何をしていようが心配無いが、磨けていなければ、どこに居て何をしていようとご無念となる仕組み。


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龍と蛇の戦い

こたびの戦は、龍(日本)と蛇(ユダヤを中心とする勢力)の、生死時空を超えた戦いであり、最後の最後には物質世界のみならず幽界までも巻き込んだ「霊戦」となる。

三千年の長きに渡り、人類を支配しようと企んできたユダヤの勢力は、その元をたどれば、神話にまで遡る。

イザナミ様がご自身の死と引き換えにお産みになられた「火の神」が、その霊統の大本である。

「火の神」はまた、「知恵の神」「知恵の火の神」「分かつ知の神」とも言われ、物事を全て「二つに分けて(相対二元)」認識してきた。

その神の霊統がユダヤの民であり、二枚舌の「蛇」が、その象徴である。
これらの勢力のハタラキを「魔釣り」という。

ユダヤのハタラキ(役目)は「立て替え」である。


既に世界は九分九厘まで、その勢力に支配されている。


これに対して、正神真神(せいしんまがみ)の霊統が、スメラの民、すなわち「火の元」、日本であり、その象徴は「龍」であり、そのハタラキ(役目)は「立て直し」である。

ユダヤが立て替え、スメラが立て直す「お役目」である。



さて、龍と蛇の戦である。


結果は既に確定している。

蛇がどうあがこうとも、九分九厘まで蛇の勝ちに見えようとも、最後の一厘で龍(日本)の勝ちとなる。

単に軍事力や肉体的な腕っ節の強さは関係ない。

霊と霊との戦いは、相手の挑発に乗って手を出したり、心が折れた方が負けとなる。

自分にとって最も恐ろしいものが目の前に現れた場合、一歩も引かず対峙できるか否か・・・

「何を見ても、何があってもビクともせず、何をされても言われても手出しや反撃をせず、相手の挑発や脅しを黙って見ていられるだけのハラ」が必要になる。

そして相手を排除するのではなく、抱き参らせる度量(大愛)。

これは人類始まって以来の、まさに史上最大の作戦である。
(これは決して夢物語や過大表現などではなく、事実である)

現実世界の政治システムをどうこうしている暇はない。

どれだけの「個人」が、真の日本人として覚醒するかが鍵となる。

ある程度の人数が揃えば、共鳴の原理で日本がグレンとひっくり返り、世界が日本に頭を下げるようになる。

それが本来の形。

(この記事は2008.2.14掲載分ですが、再確認の意味で再掲しました)

追伸

拍手コメントで竜と龍の違いについて質問がありましたので、「なるほど」と思い、竜を龍に変えました。
竜は西洋で描かれる羽根を生やした存在、龍は東洋で描かれる羽根のない存在ということでご認識下さい。ご指摘ありがとうございました。

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拍手コメントについて

私のブログの記事に、拍手ボタンがあります。
この拍手ボタンは、それぞれの記事に対する皆様の賛意の表れとして参考にさせて頂いてきました。


ところが、この拍手ボタンには、もう一つ、コメントを投稿する機能があることが判明しました。

管理画面の中で、「拍手コメント」というのがありまして、「何じゃろかい?」と思い、覗いて見たら、コメントがドッサリ!!(汗)


そうです。


いままで、記事の「コメント」のみをチェックしておりましたが、「拍手コメント」まではチェックしておりませんでした。

いま、すべての「拍手コメント」(管理画面で8ページ分)を読み終わり、古いものも含めて皆様からの温かいメッセージの数々に、改めてチカラを頂きました。


この場を借りて、「拍手コメント」の拝読が遅くなってしまいましたことを深くお詫びしますと共に、改めて、心より感謝いたします。



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『 道 標 』

人はそれぞれの道を一人で歩く

上り坂もあれば下り坂もあり、平坦な道もある
道の途中で多くの人に出会い、様々な体験をしつつ、何かを学んでいく

そして時にはつまずき、転び、道に迷うこともある
そんな時、行く道を指し示す『道標』に出会う
道標とは“道しるべ”だ
先人達が残してくれた道しるべだ
古いものもあり、新しいものもある
それらは先人達が我々に残してくれた愛の伝言板だ

道に迷い、道を求めて、人は道標の前に立つ
まるで導かれたように道標に出会う
道すがら、様々な道標に出会う
そして必要な時に、必要な道標に出会えるようになっている
そして行くべき道を知り、歩き方を学ぶ

道を知り、歩き方を学んだ後は
道標を残してくれた先人達に感謝して
道標を振り返らず
ただ己の信じる道を歩けばいい

道標に書いてある言葉の一つ一つを全て覚える必要はない
道標は道標でしかない
歩くのは、あくまでも自分なのだ

いつしか道標さえも忘れて
自分一人でも歩けるようになるだろう
その時、人は己の内に案内人を見いだす

案内人は一人一人の内にいる
それは、時には強く、時にはかすかに
「この道を行け」と囁く声でもある

道標や先人を崇める必要はない
心の底から感謝すれば、それでよい
道標を残してくれた先人達も
崇めることを求めたのではない
ただ、後に続く者達が道を誤まらぬよう
自らの命をかけて道標を残してくれたのだ

その大きな愛に報いたければ
崇めるのではなく
知識として記憶するのでもなく
杖とするのでもなく
自分の力で歩けるようになることだ
自立して一歩一歩自分の足で歩くことだ

己以外の何者にも頼らず
しっかりと自分の足で歩けるようになること
それが先人達の願いでもある


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ブログの紹介
真の日本とは何か。それは武士道でも仏教でも儒教でもなく、そして神道でもない。 それらを遥かに超える大昔、太古の神話の時代の日本。 「日の元」「火の元」「日の元つ国」「神気出ずる国」 「世界の雛型」「世界の親」・・・それが本来の日本。一人でも多くの日本人が真コトの「神響き(カムヒビキ)」を鳴り成らせることで、最後には日本人の意識が「100匹目の猿現象」でガラリと変わり、「真の日本」が現れる。 日本が変われば世界が変わる。 日本が変わらなければ世界も変わらない。 ユダヤの民は「立て替え」の御役。スメラの民は「立て直し」の御役。ユダヤの民は、これまでキッチリと御役を果たしてきた。これからが本当の日本の出番となる。
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