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鬼気迫る男
- 2008/02/25(月) 11:14:09
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私は大学生時代、弓道をやっていた。
その弓道の師匠(弓道部の監督。範士八段)の面構えが、岡本太郎によく似ていた。
鬼気迫る人物だった。
一年生の時、ふらりと道場に現れた。
先輩方が凍りつくように緊張しているのが分かった。
この人の前では、どんなごまかしも利かない。
『的を虎の目と思え!』
カミナリ様が歩いているかのように、そばに行けば感電しそうなほど、ビリビリとしたオーラを発していた。
的に向けて射る一本一本の密度が、格段に高くなった。
この人の“目つき”が、岡本太郎ソックリなのだ。
ぐっと眉を吊り上げ、細い両目をカッと見開き、
中空を睨んだまま、固まったような面構え。
ぐいとへの字に結んだ口は、絶対に妥協や甘えを許さない頑固さを如実に物語っていた。
これも、岡本太郎とソックリである。
どうも、何かの道で“一流”を極めるような人物は、ある種、キチガイじみた側面があるらしい。
人格的には、とても円満とは言えない。
まさに、鬼気迫る顔のまま、歩いているのだ。
かといって、体格はヒョロリとして、筋肉などは無い。
しかし、そんな先生に教えられる方は、たまったもんじゃない。
一瞬たりとも気が抜けない。
手を抜けばすぐに見抜かれる。
言い訳を一切許さない。
鹿児島県指宿市に、先生の住まいがある。
毎年、夏と春には先生の息子が経営するユースホステルに泊り込み、掃除や皿洗いをしながら合宿をした。
ある年の合宿でのこと。
先生がふらりと私の前に立った。
いきなり、「この一本、当てるか!?」と聞いてきた。
「当てられるか?」というような、可能性を問う質問ではない。
「絶対に当てる!」という決意のほどを問う質問である。
すぐさま、「当てます」と答えた。
すると先生は、「おーい、○○(私の名)が、この一本を当てるそうだ。みんな前に来て、見ていろ」と言って全員を集めて上座に正座させ、私一人で弓を引かせた。
「え?ちょ、ちょっと待って下さいよぉ〜」なんて弱音を吐くような余裕はない。
「当てます」という決意表明の直後、全員が注視する前で、それを実行させられる。
うだうだ考えている暇はない。
こういう場合、即座にハラを括らなければならない。
そういう練習だった。
静かに、ゆっくりと弓を引き・・・そして、当てた。
あれが、先生との一番の思い出だ。
その先生も、私が大学を卒業する前に他界された。
とんでもない、いわば狂人のような面を持った先生だったが、私は好きだった。
先生も、なぜか私を気に入ってくれて、何かと目をかけてくれた。
焼酎が好きだった。一升瓶を抱え込んでは、ちびりちびりとやっていた。
その先生いわく、「お前は石橋を叩かずに渡る奴だ」
それって、無鉄砲って意味?
・・・今となっては懐かしい思い出である。
さて、実はここからが本題になる。
一瞬たりとも気が抜けない。
手を抜けばすぐに見抜かれる。
言い訳を一切許さない。
・・・このような状況に身を置くというのは、滅多に無い。
しかし、何事にせよ、真剣に歩む人というのは、このような厳しい師匠がいてもいなくても、
自分一人で自分を厳しく見つめ続けているはずである。
果たして、それだけの厳しさで、日々、自分自身に対峙しているかどうか。
中途半端な妥協や誤魔化しは、他人には分からなくても、自分だけには分かるはずである。
自分の「心」や「言葉」や「行い」のすべてを知っているのは自分。
それはつまり、自分の「真ん中」にいる神である。
神は外にではなく、自分の「真ん中」にいるのだ。

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この記事に対するコメント
自分のこころをみつめつづけること。
こんばんわ。
先日、ミクシイのおともだちの彩紀さんと御一緒しました折に、お名前をうかがいまして、たちよらせていただきました。
まさに、「今」必要な言葉たちばかりですね。
ありがとうございます。
そして、多くの人の魂にとどきますよう。
>月下 さん
お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
彩紀さんをご存知ですか。それはまた奇遇ですね(^^)
こちらこそ、よろしくお願いします。