大難はすでに小難である

  • 2008/03/03(月) 23:08:35

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以前から、ことあるごとに「大難を小難にまつりかえ給え・・・!!」と祈って来た。

それこそ、額に汗がにじむほどの真剣さで、涙すら浮かべながら熱心に祈った時もあった。

しかし・・・ある時、ふと思った。

世に現出する「大難」は、既に神界において多くの存在の働きにより、最低限の難、つまり「小難」になっているのではないか、と。

神は、必要最低限の「苦」で、私達を導いて下さっている。

それは、わざわざ頼まずとも、神界の方で、常に、そのように動いてくださっているということだ。



「難」=「苦」であり、「苦の種」をまくのは、他でもない、自分自身である。



「苦の種」とは、つまり「不調和」である。



そして、言葉や思いや行いによって「不調和」を撒き散らすと、それが巡り巡って自分に返ってくる。

そうやって、自分に返ってくるものを「メグリ」という。 カルマとも言う。

元はといえば、「身から出た錆」である。

積もり積もった「メグリ」を、一度に全部を渡したら、とても引き受けられないから、分割払いで清算させてもらっている。

人によって、この「メグリ」が「大難」であったり「小難」であったりするのだが、それでも、一度に渡される「メグリ」は、苦しくてもなんとか引き受けられる程度に「分割」されている。



つまり、既に「メグリ」が渡された時点で、「大難が小難に」まつりかえられているのである。



世界規模の天変地異から個人的な苦労まで、すべての「メグリの清算」は、神の計らいによって絶妙に分割されている。


メグリは、個人レベルのものもあれば、家族単位、国家単位のものまである。

メグリは、時として、強い身魂の持ち主が、より多く背負うこともある。

そうやって個人負担分を分散しながら、国のメグリをみんなで負担するのである。

「善人」が苦労する由縁である。




メグリの分散について、分かりやすい例が、最近の新潟県中部地震である。

何十回も続いた「余震」が、のきなみ「震度4」以上である。

これだけのエネルギーが、一度に一回で噴出したら、一体どうなるのやら、想像できないほどだ。


すべては、神の「情け」。


だから、どんなに大変な難儀が身に降りかかろうと、「感謝」しかできない。



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