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「あー」と「うん」、そして「笑顔」
- 2008/03/06(木) 12:03:00


太古、言葉が無かった時代。
人々は「あー」と「うん」だけで用が済んでいたのではないか
・・・と、思い浮かんだ。
木の実を拾ってきて、人にあげる時に「あー」
それをもらう人は、「うん」
母親から食べ物をもらう時、子供は「あー」
母親は子供に食べ物をあげる時も「あー」
食べものをもらった子供が、食べ物を飲み込んで「うん」
食べ物が欲しい時「あー」
食べ物をあげる時「あー」
食べたら「うん」
そして、ニッコリ笑顔
「ほら、キレイな夕焼けだよ」という時、隣の人の肩をトントンと叩いて夕焼けを指差して「あー」
美しい景色を教えてもらった人は、それを見て「うん」
そこには、「与える喜び」と「与えられる喜び」しかない。
「与え合い」と「満たし合い」
与え・・・愛
満たし・・愛
それらには全て、「喜び」がともなう。
「喜び」とともに「与える」「いただく」「感謝する」
朝、太陽に向かって両手を広げて背伸びしながら「あー」と口を開け、太陽エネルギーを「うん」と飲み込む。
「ありがとう」と言葉にせずとも、そういう言葉が無くとも、そこには「限りない神の愛に対する感謝」が込められている。
太古のヒトの生き方は、いたってシンプル。
神からの恵みに感謝し、喜びをもって与え合い、満たし合う。
コミュニティは長老がとりまとめている。
父は狩りに、母は食べ物を集めに出かけ、その間、祖父母が子供の面倒を見る。
遊具やオモチャなんか無くても、子供達は自然の中で日が暮れるまで遊んでいた。
薄着でも風邪などひかず、靴がなくとも怪我をせず、丈夫な皮膚と体を持っていた。
そうやって、日々、穏やかな心で暮らしていた。
はるか太古の、地球上での営みには、現代のような複雑な社会システムは必要なかった。
太古の地球と、人類の暮らしに思いを馳せると、なんと余計なものばかり集め、作り出してしまったのかと思う。
思えば遠くに来たものだ。
「あー」と「うん」、そして「笑顔」
これだけで十分だったはず・・・
・・・このような情景を思い浮かべていたら、不覚にも涙ぐんでしまった。
懐かしさと切なさと申し訳なさの入り混じった複雑な感情が湧いてくる。
何故、こんなに余計なものばっかり持ってしまったんだろう
何故、こんなにトゲトゲしい心になってしまったんだろう
何故、本当に大切なものを失くしてしまったんだろう
何故、あんなにキレイだった魂が、こんなにも曇ってしまったんだろう・・・
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ウタ
蘇る 阿吽の呼吸 何もかも 神様のその 御心のまま
溢れ出る 笑顔の中に 感謝あり ただ喜びの 今が流れて
曇り切る 心の中に 未だある 神の宝に ただ涙して
残念の 後の祭りと ならぬよう 今の中へと 走れ諸人
満たされる ままに進むが 天地の 道と知らされ 心わくわく
御恵みが 次から次へ 出て来ては 側に寄り添う この嬉しさよ
喜びと 共に与えて 頂きて 世界は回る 今日という日も
幸せの ままに生きるが 人の道 皆で一緒に いざ天国へ
十分に 満ち足りる日が これからは すべてがタダの 世となるがゆえ
喜びの ままに流れる 愛と運 気付けば皆が ノアの箱舟
喜びが 飛び出して来る これからの 時節いよいよ 勢いを増し
近くなる 天地がただ 目の前に 夢の世界の 終わり始まり
昇り行く 朝日と共に 沈み行く 夕日と共に ただ生きるのみ
これからは 与えることの 喜びが 全人類の 中で広がり
次々に 開き行く道 さらに満ち 極み鳴り成り 晴れ渡る日々
m(__)m
多くを手にしたようにみえて。
ジンガさま。
戦後異例の復興をなしとげ、多くの豊かさを手にしてきました。
ものは、あふれんばかりにあるのに、こころはみたされず。
いつのまにか、てばなしてしまっていたものが、いまようやく大切なものだったことに多くの人がきがつきはじめたのではないでしょうか。
それは、スピリチュアルなどという海外のことばではなくて。
文字にするのも思いつかないほどに、ひろく日本人のたましいに浸透しつづけていた、御先祖様とかみさま・ほとけさまへの感謝の気持ち。大和ごころ。
なにごともじぶんの生活を自分たちの手でくみたてていた、祖父母たちのつつしまやかな生活そのものです。
その貴重な先人の知恵。。
まだ間に合うでしょうか。。。
>月下 さん
お互いに、「様」ではなく、「さん」でいきましょー(^^)
壊した「モノ」は元に戻らないけれど、無くした「心」は取り戻すことができます(きっぱり)。
その一点に希望の光を灯して参りましょう。
はじめまして!
はじめまして!
ぱとさんに教えていただいて
ブログを訪問させていただきました。
神に感謝し、与え合う喜びだけの世界。。。
ほんとうに太古の昔は、そうだったのでしょうね。
わたしも、すこしでも、自我をなくし澄み切った心に
なれるように精進していきたいと思います。
ありがとうございました。
>ひろこ さん
コメントありがとうございます。
以前、青森県の三内丸山遺跡を訪れた時、ふと、このような情景が浮かびました。
こちらこそ、よろしくです。m( )m