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二大悪神
- 2008/03/22(土) 22:30:00
「二大悪神」と呼ばれる存在について。
『霊界物語』によると、「二大悪神」とは、「盤古大神(ばんこだいじん)」とその系統の神々、および「大自在天神(だいじざいてんじん)」とその系統の神々のことである。
盤古大神(ばんこだいじん)というのは、天則に違反して太陽神界から中国の北方に天降(あも)った神であるが、本来悪神ではなかった。
しかし悪魔(八岐大蛇・やまたのおろち及び金毛九尾)に利用され、悪の働きをするようになり、国常立大神(くにとこたちのおおかみ)の神政を破壊せしむとする悪神の総大将になったのである。
国常立大神の御隠退後、地球神界の主宰神となる盤古大神(ばんこだいじん)の神政は、「体主霊従(我れ善し)主義」である。
なお、国常立大神と正神の神々の神政は、「霊主体従主義」である。
もう一つの悪神である“大自在天神”は、天王星から北米大陸に降臨した剛勇無双の神であるとされており、この神も本来は悪神ではなかったのだが、悪魔(邪鬼(じゃき))に憑依されて、国常立大神に反抗することになる。
この神の主義というのは、「力主体従(強い者勝ち)主義」である。
これら二大悪神と三大悪魔を中心に、邪悪なる勢力が台頭するにつれ、国常立大神の厳しい神政に対して不満を訴えるものが多くなり、ついには隠退を申し立てるまでになった。
国常立大神は、世界の東北(丑寅=艮(うしとら)にあたる日本列島に御隠退することになった。
それ以来、“艮(うしとら)の金神(こんじん)”と呼ぶようになった。
「国常立尊(くにとこたちのみこと)が艮へ押し込められておりたから、艮の金神と名を変えられたのであるぞよ」(大正4年旧4月6日の大本神諭)
ジンガ注)
ちなみに「火水伝文」では、 「霊主体従」に、もう一つ「心」を加えて「霊主心従体属」を説いています。
この「霊・心・体」は、それぞれ「火・土・水」「口・心・行」「日・月・地」に対応しています。
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ウタ
強い者 勝ちの世の中 消え失せて みな一斉に 飛び散る弥勒
我善しの 人はさっぱり 居なくなり 気付けば皆で ミロクの世へと
カスだけが 無くなり皆で 全員で この麗しき 幕の上がりと
悪の世は もう済みて居る これからは 悪も善へと 動ける今と
これからは 元々悪は 存在は して居ないこと くっきり判る
この度は 善か悪かの タテワケも する必要も ピタリ無くなり
太神の 全き御稜威に 寄り集い 皆で賑わう 弥勒の世へと
もう理屈 捨てて光の その中へ 飛び込むだけで それだけで良し
流れ行く ままに自然と 良くなるが マコトの神の 道の真髄
黄金の 色に輝く 日の本が 一瞬にして 世界へ映る
びっくりの 箱が開くのぞ 怖ろしき 箱ではないぞ 嬉しき箱ぞ
手仕舞いの 世の中なるぞ その後に 残るはマコト 一厘の花
この度は 上げもおろしも ならぬまで 行くぞとことん 掃除洗濯
泥海の 一歩手前で 救うから 自暴自棄には 成るなさせるな
この命 在るだけそれで 万歳と 最後成るから 死に急ぐなよ
m(__)m
二元論的思考について
確かに、ゾロアスター教的な二元論の考え方を使って世の中を解釈することは易しいと思います。
悪者と善なる者の対立で物事を見ることは、実に分かりよい方法だと思います。
『水戸黄門』然り、『ウェスターン』モノ然り。だが、善と悪の対比は、これも相対的なものであると考えるべきでしょう。どちらか一方から見るときに初めて、善的であり悪的であるからです。そう考えなければ、根本的な解決にはならないようですね。
また、根本の原因についても、誰が悪いとか良いとかの、責任をだれかになすりつける方法では、何の解決にもならない。それはどちらにも言い分があるからだ。
そして、問題はお互いに依りあって成り立っている事実。問題が一方的であることはあり得ないからだ。双方に関係があるから、問題が生じているのだ。
これを仏教で言うと、《相依性》といって、因縁因果は重々縁起であることを言っている。だから、我々はまずこの一方的に偏った見方からの脱却からスタートするべきだろう。
二元論からの脱却は即ち一元論への回帰とも言えます。
既に・・・そのベクトルへと色んな物事が動き始めています。